小説置き場。
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暴力は、分かりやすい。
そう思うのは、懸命に僕を愛してくれる母さんから受けとった痛みと優しさが、同じ量だからなのだろうか。
「そうね……私達は、一度離れた方がいいのかもしれないわね」
「それじゃあ……」
「ええ、行ってらっしゃい」
泣きそうに笑うこの人が、世界で一番綺麗だと僕は思う。
「だけど、忘れないで。どんなに離れていても……私は絶対に、貴方の味方よ」
「うん、知ってる。愛してる、母さん」
だから貴女の傍を離れる事を、どうか、どうか許して。
*
車がぎりぎりすれ違えるか、という狭さの山道を上っていく車の数は案外多かった。一台前を走っているのは左ハンドルの外車。その前には観光バスが走っている。
「意外と車通りはあるんですね」
フロントガラスからの光景を見て、後部座席に座っていた柏木和也はぽつりと呟いた。まるで観光シーズンの登山客の群だ。和也がこみ上げる欠伸を堪えていると、バックミラー越しに運転手と目があった。
「起きたのかい、お坊ちゃん」
「……だからお坊ちゃんは止してくださいよ、運転手さん」
和也が呆れたように言って、自分の服を見下ろした。自宅まで来て採寸されて仕立てられた制服は確かに和也の細身の体格に良く合っているが、どうにも垢抜けない。寧ろ仕立てのいいブレザーに着せられているように見える、と客観的に和也は思っていたが、その初々しさが逆に運転手の庇護欲をそそっていることにはついぞ気がついていなかった。
「ところで、あとどれくらいかかりそうですか?」
「なぁに、もうすぐだよ。ここらの車の目的地はみーんな、一緒だからナァ」
それはつまり、このタクシーも、前の外車も、その前の観光バスも、運んでいるのはこの林道の果てにある『学園』の生徒だということだ。
この学園は、幼稚園から付属の大学までを持つ有名な私立学園だった。ほぼ中高一貫となっている中等部と高等部だけが男子校で、この二つだけはなぜかド田舎も甚だしい山中に立地している。お陰で全寮制だが、それでも一学年は十クラスを越えるマンモス校だ。そこまで人が集まるのには、この学園が数多くの著名人を社会に輩出してきた名門校だからであり、その息子達、つまりは上流階級の子息達が多数在籍するためであった。僅かでも人脈を、とこの学園に子供を入学させる中流家庭の親も多い。だが和也はその例からは漏れて、人数は少ないが手厚い奨学金と、衣食住を保証された全寮制に惹かれて編入を決めていた。
「さ、もうすぐ学園の敷地が見える。窓の外を見ててごらん」
運転手が和也にそう告げた直後、急に左手の森が開けた。緩やかな登りは次第に下り坂に変わり、眼下に実質的な学園の敷地が広がっている。その光景を見て、和也は息を飲んだ。
小さな異世界だった。
おそらく、地形的には盆地となっているのだろう。周囲をぐるりと取り囲む広葉樹林の底に、空を映し込んだ湖が一つ。その湖畔に立ち並ぶのは、鮮やかな赤色に彩られた屋根の建物群だ。屋根の勾配がきついのは積雪があるからだろうか。その建物群を挟んで湖と反対側に広がっているのは、おそらく運動場だろう。きれいに敷き詰められた芝生がまぶしい。その運動場を取り囲むように並ぶ、用途がよくわからない赤い屋根の建物が、いくつも。同じ様な運動場がもう一つ、今度は青い屋根の建物に囲まれて、赤い建物達よりも奥の湖畔に広がっていた。
正直、碌に下調べもしていなかった和也は、言葉も出せずに景色に見入る。それをバックミラーで見て、運転手が笑った。
「きれえな学校だろう」
「そう、ですね。日本じゃないみたいです」
「坊ちゃんの暮らす高等部は赤い屋根のところだよ」
「あの建物群、全部ですか? 相当な広さですね」
後者らしき建物や、全寮制だけあって大量にある寮舎らしき建物以外にも細々とした建物はかなりある。人らしき姿も一応見えるが、この距離だとゴマ粒程度にしか見えなかった。
「まぁ、この辺は土地はいくらでもあるからなぁ。不便だから誰も住もうとしないがね。大雨でも降って、道路が塞がっちまったら完全に陸の孤島さ」
まるで隠れ里だ、と和也は思った。山に閉ざされた、秘密の里。中にいる子供達を閉じこめ外界から守り抜くための、小さな楽園。だが和也がそんな感慨に耽っていられたのは僅かな間の事で、次の瞬間には再び森が始まっていた。薄暗い林道を縫うようにタクシーは走り抜ける。そうして木々のトンネルをくぐり抜けると、再び急に視界が開けた。太陽の光に眩んだ目が慣れてくると、真緑の芝生を切り裂く石畳の遥か向こうに、大きく水が噴き上がっているのが見える。噴水だ。そしてその水の柱の向こうに、中世の城のように白亜の館が聳えたっていた。
「さあ坊ちゃん、あれが本部だよ」
唖然としている和也に、運転手は笑みを浮かべながら告げた。
*
それじゃあまた、ご縁があれば。そう運転手が言い残してタクシーが走り去る。とりあえずの荷物が入ったキャリーバッグを片手に、もう片手には運転手が握らせた名刺を持って、和也は呆然と館を見上げていた。
「流石に馴染めるか、不安になってきた……」
だが、いつまでも入り口の前で立ち尽くしているわけにもいかない。首を左右に振って和也が歩き出そうとした、その時。
「――待てよ」
唐突に背後から呼び止められて、和也は振り返った。
噴水の水を湛えている石垣の淵に、和也と同じ制服を着た少年が片足を石垣に上げて腰掛けている。赤銅色の髪を逆立て、耳にはサファイアの様な色の石の小振りなピアスが一つ。シャツの前ボタンは二つ開いていて、ブレザーのボタンも前で留められることはなく、着崩されている。その学生が、片手を水に付けて遊ばせながら和也を見る。
「お前、編入生だろ」
射抜くような視線に、たじろぎながら和也が答える。
「そう、ですけど」
「名前」
端的に発せられた言葉が、質問であることに和也が気づくまで一瞬の間が空いた。
「柏木和也です。あなたは?」
「佐渡匡平。高等部生徒会長だ。お前を迎えに、来た」
佐渡が噴水から降りて、迎え? と首を傾げる和也の隣を通り過ぎる。佐渡は本部、と呼ばれているらしい白亜の館の扉に手をかけて、それから和也が一歩たりとも歩いていない事に気づいて呆れたように振り返った。
「何してんだ、着いてこい」
とりあえず、着いていけばいいらしい。それだけを把握して、和也は慌てて佐渡の後を追った。
*
「まずは、理事長に挨拶。それから寮にお前を連れてく。後の事は護衛に聞け。質問は?」
佐渡の説明は簡潔すぎて何を聞けばいいのかも分からない。ないです、ととりあえず答えた和也は、それから耳に残った妙な言葉に気付いた。
「あの、護衛って何ですか」
質問は無いんじゃなかったのか、と言わんばかりに佐渡がぎろりと和也を睨む。思わずひぃっ、と和也は声を上げた。
「護衛は護衛だろうが。お前、仮にも編入生だろう?」
「……何でもないです」
だから、なんで編入生に護衛なんて物騒なものがつくんだ、と声高に和也は叫びたかったが堪えた。多分、言葉が通じないだろう。もしかしたらこの学園の生徒は皆この調子なのかもしれない、という可能性に和也は思い至って、和也は数人はいるであろうこの学園の編入生仲間に会いたくなった。
「そういえば、今年は編入生は何人なんですか?」
「三人。お前を入れて」
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