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炎より温かみのない音素灯が石造りの壁を照らしている。炎の揺らめきがない、均質的で無機質な音素灯が昼間から点けられているのは、ただ単にこの建物が昼でも暗いからだ。ここは戦争中に放棄されたとある貴族の別荘だったが、おそらくは別荘となる前は一種の要塞として機能していたのだろう。一度門を頑なに閉じれば、崖の上で海を後ろに背負って立つこの城を落とすのは一筋縄ではいかなかったはずだ。そしてそういう城にありがちなように、この城にも窓が少なかった。それが、昼でも灯りを必要とする暗さの原因だった。その薄暗い廊下に、足音が二つ響く。
「急に静かになったね、レック」
「ルーク、かえっちゃった」
足音の主達は、互いを鏡に映すよりもそっくりな見た目でありながらも、身に纏う雰囲気は異なっていた。一人は落ち着いた物腰の柔らかさを、一人は無邪気な天真爛漫さを子供の外見に宿している。
「そうだね。二人ともあっという間にいなくなっちゃった」
「なにしてるかなぁ」
「もっと遊びたかった?」
「うん」
「きっと、また会えるよ。しばらくすれば身体検査をしにやってくるって」
片方が優しく微笑みかけて二人は足を止めた。不規則な足音が止み、話し声もなくなると残るのはどこからともなく吹き込んでくる隙間風の唸り声だけだ。その僅かな音がかえって静寂を引きたてる。二人は一度顔を見合わせて、足を止めた理由である、年季の入った木の扉を数回ノックした。
「ディー、いますか? ハイトとレックです」
「よんだー?」
「こらレック、失礼でしょ」
小声で片方が窘めているところに、ひとりでに扉が軋む音を立てながら開いた。何とも不気味な光景だが二人に動じた気配はない。さも当然のように室内に足を踏み入れた。
部屋はやはり石の壁で囲われていた。だが、大人なら手を伸ばせば天井に手が届きそうであった廊下と比べるとこの部屋の天井はかなり高い。それが理由か、窓のない部屋であったが不思議と圧迫感はあまり感じさせなかった。部屋自体は質素なものだったが、天井から吊るされたシャンデリアや放置された書棚などの調度品が控えめに品の良さを主張している。この部屋のかつての主の趣味の良さを連想させた。だがそれらも手入れを怠っていれば本来の美しさを発揮することはできないようだった。薄汚れ、踏み均された絨毯からは温かみを少ししか感じられない。底冷えのするこの部屋の暖炉に火が灯っていないのは、現在の主が極端に寒さに強いためであった。
その部屋の主は扉の真正面にある机の更に向こうに座っていた。乱雑に計算用紙が散らばった天板の上に肘をつき、色素の薄い髪の下に普段よりも血色の悪い顔がのぞいている。その苦り切った表情をみて、この部屋にやってきた二人は思わず声をあげた。
「どうしたんですか、ディー」
「おなかいたいの?」
「残念ながら、痛いのは胃です」
部屋の主の男が顔を上げる。掛けなさい、と机の手前の椅子を示されて二人は腰かけた。男は二人を一人ずつ順に見つめた後強く目を瞑った。現実など何も見たくない、という逃避のようにも見えた。それから一つため息をつき、重々しく口を開く。
「あなた達の処分命令が下りました」
*
「それはぼくたちを殺せということですか?」
答えた子供の声は男の深刻さなどまるで無視した、いつも通りの声だった。そのことに男は目を伏せる。いずれここで死ぬことを、この子供は受け入れている。それを強要したのは男であったはずなのに、男自身がそのことを躊躇っていた。今まで、何人もの子供を死なせてきたはずなのに。男の正面の子供の態度は、暗に男を非難しているようだった。
――何人も殺してきたのに、今更躊躇うのですか?
「そういうことに、なりますね」
だが、自分にこの二人を殺せるだろうか。男は自問する。戦災孤児で親もいない子供たちを砂漠の街から連れ去ったのは数年前の話だ。それから己の研究のための実験台として子供たちは次々と死んでいき、最後に生き残ったのがこの目の前の子供だった。親の愛情すらも知らないような子供が、己の模造品でしかないはずのレプリカに惜しみない愛情を注ぐのを見て、自分は何を感じたのだろう。暇だからと読み書きを教え、知識を与え、それをみるみるうちに吸収する二人を見て、どこか喜びに近いものを感じてやいなかったか。自分の研究が脇に逸れだしたのはいつからだろう。レプリカと被験者は同じではないということを思い知らされて、二人を死なせないため研究を始めたのではなかったか。
殺せる、はずがない。
「ディー?」
急に明確な意志が男の瞳に宿ったのを見て取って子供が呼びかける。逃がそう、と男は思った。あの上司には死んだように思わせて、こっそりと逃がしてしまおう。ならば、どうするか。
二人を生き延びさせる研究はまだ終わっていない。現在の潤沢な研究資金を失うわけにはいかなかった。だから連れて逃げることはできない。ちらりと幼馴染の皇族の顔が浮かんだが、まだ立場は安定していない。二人を任せるには不安がある。大体、絶対その近くにいるもう一人の鬼畜幼馴染なら二人を見た瞬間に自分が何をしたのかわかるはずだ。下手な情報を渡してしまうと、今度は今のパトロンが倒れることになる。それではいけない。あの幼馴染がこの研究を手伝ってくれるとは思えなかった。それでは、どうするか。最後に浮かんだ案はどうしても賭けに近かった。
「お逃げなさい、二人とも」
男が言うと、正面の子供が意外そうに目を見開いた。隣の子供が口を挟む。
「どうやって?」
「超振動ですよ。分解後の再構成の位置を調整すればあれは転移にも応用できます」
「つまりはぼくたち二人で超振動を引き起こして自分自身を分解させ、別の地点で再構成させる、と? ほとんど自殺じゃないですか」
「あなたの悪運の強さなら今更死にはしませんよ、きっと」
ここまで自分を変えさせたこの子供なら、きっと。
「私が言えることではありませんが……生きてください。ハイト、レック」
部屋の中に重い空気が満ちる。それを打ち破ったのは、状況をあまり理解していない子供の声だった。
「ディーはこないの?」
「私にはまだ研究がありますからね。あなた達二人のこの場からの消滅をもって、処分したと上に伝えます」
一瞬で空気をぶち壊した子供に苦笑を浮かべ男が答えると、正面の子供と目が合った。子供も微笑を浮かべて隣の子供の頭を腕で掻き寄せる。
「わかりましたよ、ディー。ぼくもレックも、絶対に生き延びます。あなたが、それを望むのなら。ね、レック?」
「おー!」
頼もしい返事に男は一つ頷いて席を立った。それでは準備しましょうか、と言いながら。
*
空は淀んでいた。鈍色の雲の下、潮風が駆け回る。お世辞にも気持ちのいい天気ではなかった。波が岩肌にぶつかっては砕ける音が遠くから聞こえる。
場所は屋外。中庭の真ん中に子供が二人と、男が一人立っている。
「超振動の原理は覚えていますか?」
唐突に男が問うた。
「えっと……第七音素を『反音素』に変換して、それを対象の音素と対消滅させることによって莫大なエネルギーを得る、でしたっけ。さらにそれによって生じたエネルギーで他の場所での再構成を行う、と」
「概ねその通りです。では、第七音素を大量に消費するということも理解していますね? そして、それがあなた達にとって危険だということも」
「はい。まずぼくやレックの体を構成している第七音素も消費される可能性が高いです。更には周囲の第七音素濃度が低下することでレックの音素乖離も引き起こしやすくなる。これらの事象は事前に大量の第七音素を用意しておくことで回避できます。当てはあるんですか?」
素早く会話の流れを読んだ子供に男は笑みを深めた。
「ええ。これです」
男が指し示したのは小振りのナイフだった。鞘には緻密で繊細な細工が施されていて、柄にもささやかな彫刻がなされている。どちらかというと実用的ではなく観賞用といった外見だが、男が鞘から刀身を抜くとよく磨き抜かれた刃が鈍い太陽の光を反射した。
「わぁっ、すっげー!」
「これもケテルブルクの細工物ですか?」
「ええ。親が私の入隊祝いに買ったものです」
「で、それをどーするの?」
「さて、どうするんでしょうね?」
男がにっこりと笑う。子供がもう片方の子供の、腰にも届きそうな髪を見やる。
「……レックの髪を切って、それの第七音素を利用するんですか」
「まぁ、そんなところです。そのナイフは貸しますから、超振動の直前に切ってあげてください」
刃をしまったナイフを男が子供の手に乗せる。
「では、お願いしますね。私が十分離れてから始めてください」
*
さくり、さくり。
子供が刃を滑らせるたびに髪が切れていく。切れた端から髪は音素を乖離させ、光となって空気中に溶けていく。海からの湿った風が子供の手の中に残った髪を攫い、空に浮かび上がらせる。その様子をすっかり髪が短くなった子供が見上げていた。
「きれい」
「そうだね。ディーはいつかこうなることを、わかっていたのかもしれない」
ナイフを鞘に収めながら、髪を切っていた子供が言う。
「さぁ、やろうか。レック」
「おー!」
そっくりな顔を見合わせて、二人は笑った。
ND2011。
それは聖なる焔の光が二度目の誕生を迎えた年であり、またある子供の死の預言が詠まれていた年だった。