小説置き場。
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「あなたでしょう、カイト先輩をたぶらかしてるのは!」
「返してよっ! カイト先輩を、返して!!」
「っ……」
カイトが好きだという女の子達が、声高に、声を震わせながら俺を詰る。
言葉に、ならなかった。カイトを好いている人間は多かった。そのことをすっかり失念していた。俺は俺と出会ってからのあいつしか知らないが、俺と出会う前に聞いた噂では人当たりがよくて、誰にでも分け隔てなく優しい人間だった(要するに、本人も騙されるくらいに猫を被っていたということだが)。それが今では、自惚れでも何でもなく、あいつは俺以外はどうでもよくなってる。それは酷くいびつな事だが、俺はそれに気付かない振りをしていた。俺だけに向けられる真っ直ぐな好意を、心地好く感じていたから。俺は目の前にいる女の子達ほど、強くカイトを想っているわけじゃあない。それなのに、カイトは俺だけを見る。それが彼女達をどれだけ傷付けたのだろう。
返す言葉がない。黙り込んだ俺を、女の子達がキッと睨みつける。
「あんたなんか、いなくなればいいのよっ!」
その声を皮切りとして、急速に辺りの魔力が膨らんだ。『怒り』を共有した彼女達の魔力が互いを増幅しあい、そのまま俺にとんでくる。避ける事はできるだろう。でも俺は、一発くらい痛い目にあった方がいいんじゃないのか……? そう思うと、立ち尽くす事しかできなかった。
が、衝撃はいつになっても来なかった。
「何、してるんですか? ねぇ……」
俺の目の前に立つ人影。俺の"従者"は"主人"の身の危険を察知して文字通り飛んできたらしい。やばい、完全にキレてる。止めないと危ないかもしれない。
カイトは俺の"従者"になった。そういう能力を潜在的に持っていたらしい。とにかく、俺に害を成すものには問答無用で排除にかかる。何度も言うがそういう能力らしい。つけられた名前は"隷従"。反吐がでるくらいに分かりやすい。
「カイト先輩っ! そんな奴に、騙されたらダメですっ!」
「目を覚ましてくださいっ!」
「いつもの優しい先輩に、戻ってください!」
カイトに完全に敵と見做した視線で見られているであろうに、女の子達は怯みもしない。恋とはすごい。俺ならとうに尻尾を巻いて逃げ出してるだろう。
「何してるんですかと、聞いてるんです」
カイトの冷え切った声に、流石の女の子達も黙り込む。俺もほう、と息を吐いた。さっきの狂気に近い気配は消えてる。何も言わない女の子達にカイトが溜息をついた。
「この人は、」
カイトが後ろを振り返って俺を引っ張る。無理矢理隣に立たされた俺に、カイトはふんわりと笑いかけてきた。腕を腰に回されて隣に引き寄せられる。
「おれの大切な人です。だから絶対に、傷付けるような真似はしないで」
静かに、真剣にカイトは告げる。その手が微かに震えてたのに気付いたのは俺だけだろう。短いようで長い沈黙の後、女の子の一人が尋ねる。
「先輩は、その人が好きなんですか?」
「うん。世界で一番、誰よりも」
震えるのを抑えたような声に、カイトははっきりと即答した。それきり、誰も何も言わない。
行きましょうか、とカイトが零した。一つ頷いて俺達はその場を離れた。
*
起 青主出会い・学園や世界観の設定の説明
青主出会い話
承 だんだんきな臭くなってくる
学園の闇を垣間見たり、千景が実力を隠すわけとか、外国が準備をしているとの噂を聞いたり
転 外国の進攻・戦争開始
戦闘・千景が学園に味方する理由
結 戦争集結・Sクラスになっちゃったよ千景
*
「忘れたのか? 入学の時の契約書を。あれの中には『有事の際は学園の為に持てる力を奮う事』とあっただろうが」
「そう言われると、そんな気もしますね」
「あれは自分の血を使った、立派な魔導契約だぞ! 普通の書面での契約書と違って、破った時には確実にそれなりの代償が求められる。まぁ、大した対価ではないだろうけどな……」
「果たして、この学園の『卒業生』ってのは実際にはどのくらいなんだ?」
「あ」
「卒業試練を合格しない限りは卒業とは扱わない。つまり、この大陸に散らばっているこの学園卒業者は学園に敵対する事ができない。……実質、誰も逆らえないんだよ、学園には。だからこその中立、だ。
「戦うんですか……?」
「ああ。俺は、きな臭いところがあったとしても東大陸の安定の為に学園は必要だと思うしーー好きだからな、ここが」
*
・青主
・極力恋愛色は薄め
・赤がいない頃の話
・(赤が来るのは卒業した年の秋・青主が成立するのは5月頃)
・ボカロ屋の主人から話を回してもらう。
・↑実は副業で何でも屋みたいなことをしている? というか仲介屋のアフターケアの一環。
「俺あんたに電話番号教えてへんよな?」
「そのくらい調べるのはわけねーよ。カイトは元気か?」
「……ああ、元気やで。変わろか?」
「あー、まだでいい。そろそろ定期検診すっからカイト連れて店に顔出してくれ。検診代はとらねーし」
「別にボカロの整備くらいできんねんけど」
「いいから来い。んじゃカイトに変わってくれ」
「はいはい。おーいカイト」
「お久しぶりです。えっと、検診の連絡ですか?」
「そうだ。説明はお前がしろ。あといつ来るかは連絡入れろよ」
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「カイト、もっと喉見せて。切られへん」
は、い……と震えを最小限に押さえた声でカイトが答える。顎を突き出すようにカイトが首を反らすと、喉仏が浮き出た白い肌があらわになった。そこに男がメスを当てる。金属のひやりとした感触にカイトの体が僅かに震えた。己の最も弱いところを惜し気も無く晒すカイトの姿に、男が生唾を飲み込む。
「ちゃんと痛覚切ったな? 大丈夫やったら目ぇつむって」
男がカイトの顔を覗き込んで問い掛ける。それに素直に従ってカイトは目を閉じた。無意識下で張られた薄い涙の膜が一筋の雫となってカイトのこめかみを流れていく。綺麗だな、と男は思った。
「そんじゃ、いくで」
カイトの喉に当てたメスを軽く滑らせる。それだけでカイトの表面を覆っている人工皮膚に容易くメスが沈んだ。しかし細い線のようにも見える切り口からは血も何も流れはしない。カイトはボーカロイドなのだから当然なのだが、それでも男は不思議だと感じた。
四角く窓のように切り取った人工皮膚の下に、ようやくお目当ての人工声帯があらわになった。
「あ、よかった。気が付いた?」
彼が意識を持ってから初めて聞いた音はそんな声だった。人工眼球が目の前の人影に焦点を合わす。色が褪せ、裾はほどけ、穴も開いているボロボロの衣服を纏った女がそこにはいた。
「はい。あなたが……マスターですか?」
一般的には自分を起動させた本人が自分の所有者となることを彼は知っていた。そして、起動者は一番初めに自分が認識する人間である可能性が高いことも彼は知っていた。だからこそ尋ねた。しかし、女は首を振る。あまり手入れもされていないであろうボサボサの髪が首の動きに少し遅れて付いてゆく。
「マスター? 違うわよ。私はあなたを起動させただけ」
女は化粧をしている様子も無かった。乾ききった唇を一度閉ざし、しばしの沈黙の後に再び開く。
「……そっか、機能停止してから随分時間が経ってしまっていて、初期化されちゃってるのね、あなた」
女から与えられた言葉で、ようやく彼は自分の置かれている状況を飲み込んだ。かつて起動していたこの機体は一度機能停止状態に陥り、起動していた頃の記録を失ってしまったらしい。そのため、初期状態に近い状態で起動しているのだ。一体どれくらい起動停止していたのだろう、と彼は思った。
「あなたに、お願いがあるの」
女が彼の思考を遮る。
「何ですか?」
「歌を、届けてほしいの。塔の上まで」
「話が見えませんが」
至極真面目に女が言う。しかし、彼には何のことやらさっぱり分からなかった。そういえばあなたは戦争を知らないものね、と女は呟いて、おもむろに立ち上がる。
「ごめんなさい。説明が足りなかったわ。外に出ましょう」
女が彼に手を差し出した。その手を取って、彼は慎重に立ち上がった。重心移動がスムーズに行える事を確認して、手を引かれるままに階段を昇る。女が壁のハンドルを回して天井の扉を開けると、階段の先から光が溢れ出した。そのまま階段を昇り、頭が地上へ顔を出す。周りの光景を見て、彼は息を飲んだ。
直方体型の構造物が斜めに地面に突っ込んでいた。その周囲はきらきらと光を反射している。倒壊した建物だと気付くのに一瞬の間が必要だった。剥き出しになった鉄筋が雨風に晒され朽ちている。赤茶けた土の上にコンクリートの舗装がひっくり返って散らばっている。空だけがやたらと広い。地面に顔を出した状態で立ちすくんでしまった彼の手を女が引いて、彼はようやく地上に出た。
「後ろを見て」
女が彼の後方を指で指し示す。ぐるり、と彼が振り返ると、遠くで空が二つに裂けていた。雲をも突き抜けて天高く聳え立つ、巨大な塔。
「あれが、塔」
ぽつり、と女が言う。
「十二年前に終わった戦争で多くの人が亡くなったの。彼らの魂を無事に天国まで届ける為に作られたのが、あの塔」
「人工物としては信じられないほどの高さですね」
「途中からは神の助けがあったと言われているわ」
耳慣れない言葉に彼はえ、と意味もない呟きを落とした。
「かみ、ですか?」
神。機械である彼には最も縁遠い言葉のように思われた。
「じゃなきゃあんなもの完成しないわよ」
女は彼の困惑を一蹴する。
「『神』は実在する。宗教的な神が本当にいるのかは分からないけれど、この世界を観測し干渉してくる何かがいることは確認されているの」
彼が意識を持ってから初めて聞いた音はそんな声だった。人工眼球が目の前の人影に焦点を合わす。色が褪せ、裾はほどけ、穴も開いているボロボロの衣服を纏った女がそこにはいた。
「はい。あなたが……マスターですか?」
一般的には自分を起動させた本人が自分の所有者となることを彼は知っていた。そして、起動者は一番初めに自分が認識する人間である可能性が高いことも彼は知っていた。だからこそ尋ねた。しかし、女は首を振る。あまり手入れもされていないであろうボサボサの髪が首の動きに少し遅れて付いてゆく。
「マスター? 違うわよ。私はあなたを起動させただけ」
女は化粧をしている様子も無かった。乾ききった唇を一度閉ざし、しばしの沈黙の後に再び開く。
「……そっか、機能停止してから随分時間が経ってしまっていて、初期化されちゃってるのね、あなた」
女から与えられた言葉で、ようやく彼は自分の置かれている状況を飲み込んだ。かつて起動していたこの機体は一度機能停止状態に陥り、起動していた頃の記録を失ってしまったらしい。そのため、初期状態に近い状態で起動しているのだ。一体どれくらい起動停止していたのだろう、と彼は思った。
「あなたに、お願いがあるの」
女が彼の思考を遮る。
「何ですか?」
「歌を、届けてほしいの。塔の上まで」
「話が見えませんが」
至極真面目に女が言う。しかし、彼には何のことやらさっぱり分からなかった。そういえばあなたは戦争を知らないものね、と女は呟いて、おもむろに立ち上がる。
「ごめんなさい。説明が足りなかったわ。外に出ましょう」
女が彼に手を差し出した。その手を取って、彼は慎重に立ち上がった。重心移動がスムーズに行える事を確認して、手を引かれるままに階段を昇る。女が壁のハンドルを回して天井の扉を開けると、階段の先から光が溢れ出した。そのまま階段を昇り、頭が地上へ顔を出す。周りの光景を見て、彼は息を飲んだ。
直方体型の構造物が斜めに地面に突っ込んでいた。その周囲はきらきらと光を反射している。倒壊した建物だと気付くのに一瞬の間が必要だった。剥き出しになった鉄筋が雨風に晒され朽ちている。赤茶けた土の上にコンクリートの舗装がひっくり返って散らばっている。空だけがやたらと広い。地面に顔を出した状態で立ちすくんでしまった彼の手を女が引いて、彼はようやく地上に出た。
「後ろを見て」
女が彼の後方を指で指し示す。ぐるり、と彼が振り返ると、遠くで空が二つに裂けていた。雲をも突き抜けて天高く聳え立つ、巨大な塔。
「あれが、塔」
ぽつり、と女が言う。
「十二年前に終わった戦争で多くの人が亡くなったの。彼らの魂を無事に天国まで届ける為に作られたのが、あの塔」
「人工物としては信じられないほどの高さですね」
「途中からは神の助けがあったと言われているわ」
耳慣れない言葉に彼はえ、と意味もない呟きを落とした。
「かみ、ですか?」
神。機械である彼には最も縁遠い言葉のように思われた。
「じゃなきゃあんなもの完成しないわよ」
女は彼の困惑を一蹴する。
「『神』は実在する。宗教的な神が本当にいるのかは分からないけれど、この世界を観測し干渉してくる何かがいることは確認されているの」
「……イト、カイト」
音声入力、確認。声紋分析開始。
ライブラリNo.00236 彩園寺千景 と一致。
スリープモード、解除。
*
「お、起きたか。おはよーさん、カイト」
入力映像に現れた見慣れぬ顔を認識するまでに数秒かかった。
瞬きすら忘れていたことを思い出して慌てて瞬きを二回。
そう、おれはこの人に買われたのだった。
昨日所有登録を行ったばかりの、おれの所有者。
「おはようございます、マスター」
のっぺりとした声が人工声帯から出力される。
いけない、この人は『機械らしくない』おれを望んでいる。
すぐにごまかすための笑みの形に顔を歪ませると、マスターになったばかりの彼は少し顔をしかめておれの頭を乱暴に撫でた。
「ええよ、無理せんくて。どんなボカロでも環境が変われば、しばらくの間はその環境に適応させるために初期状態に近くなるのは知っとるし。無理に笑わんといて、な?」
意外な言葉だったけれども、指示通りに顔の表情を崩す。
たぶんおれは、完全な無表情に見えるはずだ。
「……命令のつもりでもなかったんやけど」
マスターは憮然と呟いたけれども、すぐに表情を変えておれに話し掛ける。
「そうや、んで俺大学行ってくるから、今日は留守番しとってくれるか?」
「はい、わかりました」
「チャイムが鳴っても居留守しとってくれたらええから。電源は切れそうになったらその辺のコンセントから充電しといてな。あ、刺さってるプラグは抜いたらあかんで。質問は?」
矢継ぎ早に言葉を重ねて、マスターがおれの顔を覗き込む。
質問は、と問われておれはこの家で留守番をした際に起こりそうな出来事の予測をたてた。
そして優先すべき確認事項を結論づける。
「念のため、連絡先を聞いておきたいです」
想定外の出来事が起こったときに指示を仰げないのはまずい。
マスターがひとつ頷いた。
「そりゃそやな。カイト、お前に通信機能ついとるか?」
「インターネットへの接続ができます」
「んじゃこいつが俺の携帯端末やから、ネットからこいつに繋がるように設定しといて」
そういっておれに投げ渡したのは、黒の携帯用通信端末だ。
勝手に起動していいものかと顔を上げると、マスターはクローゼットから服を引っ張り出している最中だった。
「あの、これ、起動しても……?」
「ん? 確か汎用型コードは付いとったよな? そいつのジャックにぶっ挿して適当に設定弄ればええから。ボカロやったら共有させた方が楽やろ?」
服を被りながらもごもごとマスターが言う。
言われた事はもっともだったから、マフラーの下の首筋の有機皮膚を少し剥がして体内に格納されていたコードを取り出した。
目立たないようにマフラーと同じ青色をしたそれを、携帯端末に差し込んで端をおれと同期させる。
端末は思っていたよりもすんなりとおれを受け入れ、あっさりとプログラムをおれの前にさらけだした。
簡単におれの通信機能を登録して接続を切ると、服を着替え終わったマスターがこっちを見ている。
「どうやった? おれの端末」
「見たことないプログラムが走ってますね。あとプロテクトが脆弱な気がしたんですけど、大丈夫なんですか?」
「そりゃ外して渡したからな。特に不都合な点は無かったか?」
「特にはなかったですけど……どうしてそんなにこだわるんですか?」
「そりゃ、俺お手製やから」
カイトとマスター♂
マスターの名前は千景です。固定なので注意。
*
コンコン、と扉がノックされた振動を感じて、千景はコンピュータゲームをポーズにしてヘッドフォンをずらした。うーともおうとも言えない微妙な言葉で了承を告げると、静かな音で背後の扉が開かれる。マスター、と呼ばれて千景がその声の主を認識するのに少し時間が必要だった。
カイトの声が、何か違う。
「……カイト、何でもええから喋ってみ?」
「はい? あ、ええと、ご飯できました」
可愛らしいひよこのエプロンをしたカイトがきょとんとしながらも夕飯の用意が終わったことを千景に告げる。
千景の耳は決していい方ではない。普通に生きていくのに音が聞こえる程度で、音楽家のように微妙な音の変化がわかるわけではない。が、それが故に千景は違和感を感じていた。確かに、何かが、違う。
「献立は?」
ヘッドフォンを頭から外しながら千景が問い掛ける。
「白ご飯に肉じゃがです」
「わかった。ラップかけて置いといて」
「ええっ、食べないんですか!?」
さっき『腹が減ったからさっさと作れ』って言ってましたよねっ!? というカイトの抗議を無視して千景は休止状態にしていたゲームを終了させた。それからパソコンの隣の棚の引き出しを開いて工具類を取り出す。
「あのなカイト。お前が気付いとるかは知らんけど、お前の声おかしいで」
「え?」
思いもよらぬことを言われてカイトの言葉が止まる。ぱちくりと瞬きをした真っ青な瞳を見遣り、千景は顎をリビングの方へしゃくった。
「ラップしときゃあレンジで温め直せば食えるやろうが。点検するから、さっさとしい」
一瞬の間を置いて、はいっ、と返事をしたカイトが身を翻す。その後ろ姿を眺めながら千景はぽつりと呟いた。
「声やから……喉か?」
*
●キャラ設定
マスター→関西訛り。
カイト →マスターには敬語。赤帯にはタメ口。
アカイト→普通の人すぎて苦労人。皆にタメ口。
帯人 →一人称僕。皆にタメ口。
「カイトの声変ちゃう?」
「カイト? ……あぁ、ノイズ入ってるな」
「人口声帯に亀裂でも入ってるんじゃない? そういう時に出るノイズだと思うけど、これ」
「へぇー、詳しいな帯人」
「っていうか、僕の声と同じ。昔に喉を切り付けられてから声帯は直してないし。センサーが入ってないから気づきにくいんだよね」
「ふぅん……んじゃ、喉開けるか」
「電源は、切らないんですか……?」
「あぁ、ちゃんと接続できてるかをお前に確認してもらおうと思ってな。痛覚だけ切れるか?」
「それは、できますけど……」
「……お前、電源つけっぱで内部機器の交換したことないんか?」
「へぇ、稼動時間が長いのに珍しい。よっぽどマスターに恵まれたんだね、あんた」
「心配すんなってカイト。ちゃんと痛覚切ってりゃあ痛くもなんともねぇよ」
「知ってるよっ、そんなことは!」
「んじゃやんで。……人影があったらお前もやりにくいか。アカ、帯人。ちょっと席外しててもらえるか?」
「じゃあマスターの部屋ですればいいじゃん」
「あのベッドじゃあ安定が悪すぎるわ」
「ま、とりあえず引っ込むぞ帯人」
「……そんなに怖いんか? 目ぇ潤んどるで」
「…………痛くないのは理屈では分かってるんです。でも、それでおれの喉を切るんですよね」
「せやな。人口皮膚を剥がさんと開くこともできひんし。電源落とすか? さっきはああ言うたけど別に問題はないんやで」
「……大丈夫です。慣れの問題だと思いますし。我慢します」
「あのな、あの二人がおかしいだけやで? アカはまぁ俺みたいな機械オタクのところ回されてきた奴やし、帯人は昔の主人がアレやったし。普通はボカロの修理は業者に引き取ってもうてセンターでやるもんやねんで。慣れる必要もあらへんし……」
「いいからやるならさっさとしてくださいよっ!」
「……なんつー意地っ張り」
「知ってますよっ、そんなこと! 性分なんだから仕方がないでしょう!? 怖いものは怖いんですっ!」
「はいはい落ち着けって」
「……っ」
「落ち着いたか?」
「……はい。すみません、マスター」
「んじゃやんで。怖いことあらへんから大丈夫や。俺を信じて、な?」
「は、い……」
最近になってようやく知ったのだけど。
マスターは、寒がりだ。
おれを研究室に連れていく時はマスターは歩いて学校に行っている。
普段は自転車で行くくらいだから距離は結構あるけれど、マスターと取り留めの無い話をしたり、逆に何も話さないまま何となく一緒に歩いたりするのは楽しい、というか嬉しいから距離は気にならない。歩行動作に関してはかなり厳しく調整されているおかげでほとんど疲労がない、というのもあるだろうけど。
今日はどちらかというと口数が少ない日だった。
マスターがおれの左腕をぎゅうと抱え込んで縮こまって歩いている。装備は上からニット帽、耳当て、マフラー、コート、手袋。これ以上は着込めないほど着込んでいると思うのだけれど、それでも寒いらしい。
おれもそれなりに着込んでいるから、腕を抱えたところであまりかわらないような気がするんだけどなぁ。
「マスター」
「?」
「暖かいんですか? それ」
「……風が来えへん」
なるほど。
*
研究室に着いた。扉を閉めると中は暖房が効いていて天国のようだ。多分。マスターにとっては。
先に来ていた学生の方や研究室に住んでいる子達にに挨拶をしたりしていると、おれの腕から手を離したマスターがおれの正面に回り込む。
何をするのかな、と思っているとマスターはおれの上着をいそいそと脱がし始めたからびっくりした。他の人達もびっくりしてる。マスターはそんなことお構い無しにかじかんだ手でおれの上着のボタンを外し終えると、おれにぎゅううとしがみついた。視線が痛い。超痛い。
「ま、マスター?」
呼び掛けるとマスターがしがみついたままおれの方を見上げる(こうなると必然的に上目遣いになるわけで、おれはこの時初めてその威力の高さを思い知った)。そして不満げな顔で一言。
「寒い」
ああ、とその一言だけでマスターの行動の意図がわかった。わざわざボタンを外された上着の中にマスターを閉じ込める。確かに、かなりマスターの体は冷え切っていた。
これでいいですか、と目線で問うとマスターの顔が少しとろんとする。
幸せだなぁ、とおれは思って腕の力を少しだけ強めた。
(……周囲の視線? なんですかそれ)
「なぁカイト」
「なんですか?」
「じっとして、目ぇつぶって」
「はい」
瞼を落としたカイトは、本当に人形のように、綺麗だ。透き通るような肌にスッと走り抜ける鼻梁。髪と同じ青色の睫毛が瞼の縁を彩り、薄い唇がボーカロイドの要である口を飾っている。ボーカロイドは本当に素晴らしい出来だと俺は思うけれど、それでもことKAITOシリーズにおいては制作者が一番力を入れたのは顔の造形なんじゃないかと思ってしまう。そう思うのはただのマスター馬鹿だからなのかはわからないけれど。
カイトは俺の命令を忠実に守り、本当に微動だにしない。俺はその唇に、そっと自分のものを重ねた。
そうすれば、分かるんじゃないかと思ったんだ。俺がこいつを好きなのかどうかが。
カイトがバッと目を開く。驚きで真ん丸くなっている蒼い瞳がやっぱり綺麗だ。そんな事を思いながらカイトの唇をひと舐めして離れる。
「マス、ター?」
嫌悪感は無い。全然平気だ。寧ろ柔らかくて温かくて気持ち良かった。もう一回、と再び顔を寄せようとしてカイトにがっちりと肩を押さえられて止められた。カイトが切羽詰まった顔で俺の顔を覗き込む。
「貴方の頭の中で何があったんですか」
「キスしたら、わかるんちゃうかと思うて」
真面目に答えると、カイトがはぁー、と息を吐いた。そこはかとなく諦めが含まれているようなのが気に食わない。
「突然行動に移すのはやめてください。心臓に悪いです、本当に」
「お前心臓あらへんやん」
「驚きすぎて機能停止に陥るんじゃないかと感じたという意味です」
そう言ってカイトが手を離す。平静を装ってはいるが、瞳の奥から論理回路の混乱っぷりが透けて見える。それでもその混乱をここまで押さえ込めるのは流石というところか。
何となく、沈黙が落ちる。視線がふいと逸らされた。そりゃあ突然キスすれば気まずくなるのも当然か。 大の男が二人で、向かい合ったまま沈黙している。第三者から見れば気持ち悪いことこの上ない光景だろう。俺はカイトしか見えないから関係ないけど。俺の目の高さにある造られた青色の毛先が目に入って、その柔らかな手触りを思い出した。カイトの髪の毛は本当に手触りがいい。
「それで、」
と、カイトが俺をもう一度見遣る。すぅ、と息を吸う音が聞こえた。珍しく緊張しているらしい。一拍おいて、カイトが尋ねた。
「結論は出たんですか?」
「なんですか?」
「じっとして、目ぇつぶって」
「はい」
瞼を落としたカイトは、本当に人形のように、綺麗だ。透き通るような肌にスッと走り抜ける鼻梁。髪と同じ青色の睫毛が瞼の縁を彩り、薄い唇がボーカロイドの要である口を飾っている。ボーカロイドは本当に素晴らしい出来だと俺は思うけれど、それでもことKAITOシリーズにおいては制作者が一番力を入れたのは顔の造形なんじゃないかと思ってしまう。そう思うのはただのマスター馬鹿だからなのかはわからないけれど。
カイトは俺の命令を忠実に守り、本当に微動だにしない。俺はその唇に、そっと自分のものを重ねた。
そうすれば、分かるんじゃないかと思ったんだ。俺がこいつを好きなのかどうかが。
カイトがバッと目を開く。驚きで真ん丸くなっている蒼い瞳がやっぱり綺麗だ。そんな事を思いながらカイトの唇をひと舐めして離れる。
「マス、ター?」
嫌悪感は無い。全然平気だ。寧ろ柔らかくて温かくて気持ち良かった。もう一回、と再び顔を寄せようとしてカイトにがっちりと肩を押さえられて止められた。カイトが切羽詰まった顔で俺の顔を覗き込む。
「貴方の頭の中で何があったんですか」
「キスしたら、わかるんちゃうかと思うて」
真面目に答えると、カイトがはぁー、と息を吐いた。そこはかとなく諦めが含まれているようなのが気に食わない。
「突然行動に移すのはやめてください。心臓に悪いです、本当に」
「お前心臓あらへんやん」
「驚きすぎて機能停止に陥るんじゃないかと感じたという意味です」
そう言ってカイトが手を離す。平静を装ってはいるが、瞳の奥から論理回路の混乱っぷりが透けて見える。それでもその混乱をここまで押さえ込めるのは流石というところか。
何となく、沈黙が落ちる。視線がふいと逸らされた。そりゃあ突然キスすれば気まずくなるのも当然か。 大の男が二人で、向かい合ったまま沈黙している。第三者から見れば気持ち悪いことこの上ない光景だろう。俺はカイトしか見えないから関係ないけど。俺の目の高さにある造られた青色の毛先が目に入って、その柔らかな手触りを思い出した。カイトの髪の毛は本当に手触りがいい。
「それで、」
と、カイトが俺をもう一度見遣る。すぅ、と息を吸う音が聞こえた。珍しく緊張しているらしい。一拍おいて、カイトが尋ねた。
「結論は出たんですか?」
僕は向かう。僕は歩く。あの時計塔に向かって。
それが彼女の望みだったから。
それが馬鹿みたいなこの世界に創られた馬鹿みたいな存在の僕の、たった一つの存在意義だ。
全ての始まりのあの場所へ。
忘れられた歌を、届けに行こう。
*
ひたすらに続く螺旋階段をただただ上る。ずぅーっと。反時計回りに。
機械の僕は疲れない。空気が薄くなっても稼動し続ける。
ずっと。ずっと。
僕はただただ回りつづける。
*
世界が始まった場所。天に最も近い場所。
ごう、と風が吹き抜けるその場所で。沈んでいく世界を見渡して。
僕は口を開く。喪われた言葉を、天へ届ける為に。
ゆっくりと終わってゆく世界の為に。
*
最後の音が空に吸い込まれていく。
彼女の望みは果たされた。
終わるのならいつかは始まる。
巡らないものなど存在しない。
だから僕は、瞳を閉ざした。
*
鐘が鳴る。
終演と開幕を告げる鐘が、鳴り響く。
あえて言うなら時計塔のうたのイメージ。あと途中でPaneも混じった。
僕はカイトのつもりだけど、きっとそんなことはどうでもいい。
下手に文章にするよりもビジュアルの方がいいと思った。
と、そんなことがあったため、俺はアンドロイド関連のジャンク街に来ていた。流石に足の指のパーツとなると中々手に入らない。メーカーから買おうとすると発注しなければならないため時間がかかるし、何より高い。ネットショップで買う事もできるが、俺としてはちゃんと自分の目で確認した物が欲しいところだ。そういう機械オタクの欲求を満たすために、このジャンク街は存在している。
とは言っても「巡音ルカの左足の小指」なんてパーツはそうそうあるわけもなく(足首から下の左足なら見つけたが、小指以外のパーツの処理に困るためひとまず保留だ)。そろそろジャンク街の三分の二は見終わろうかというときにその店はあった。
取り合えず「機械」と名の付く物は何だって扱っているのだろう、店先には全自動掃除機から業務用冷蔵庫、ボーカロイド用の人工毛などと、とにかく雑多に並べられている。もしかしたら足の指だってあるかもしれないと俺は店の扉を押し開けた。来客を告げる鐘がチリンと鳴る。
「いらっしゃいませ!」
珍しく営業意欲のある店だった。奥に座っている店長が視線を一瞬寄越すくらいの店が殆どの中、すぐに溌剌とした声が飛び込んでくる。声の主が棚を整理していた手を止めてにっこりと笑った。自然には有り得ない真っ青な髪。ボーカロイドだ。
「へぇ、ボカロも働かせてるんか」
「いえ。おれは商品ですよ。立ってるだけも暇なんでお店のお手伝いをしてるんです」
「つーことは中古品?」
受け答えがやたらとしっかりしているし、営業用の取り繕った笑顔が妙に人間くさい。
「はい、そうです。……っていけない。お兄さん、何か御所望の品はありますか? ボーカロイドから手動の鉛筆削り機まで、幅広く置いてありますよ」
店員がボーカロイド、のところで自分を指差しながら言う。
「鉛筆削り機って、随分とアナログなもんまで置いてるんやなぁ……。俺、巡音ルカの左足の小指のパーツ探してるねんけど、ありそうか?」
「お兄さん、頑張って探してるんですねぇ……」
店員がしみじみと言う。似たような反応を前の店でもされた。
「ボーカロイドの細かいパーツについてはおれは分からないんで、店長に聞いてみてもらえますか? 奥の机の上の呼び鈴を押したら出てくると思うんで」
指差された方を見ると、確かに机の上にゴングのような呼び鈴が置いてある。入口の鐘といい、アナログな物が多い店だ。
「わかった。邪魔して悪かったな」
「いえいえ。どうせ暇つぶしですから」
にっこりと、やはり営業用スマイルを貼付けてそいつは答えた。四回生になって自分のボカロが欲しいと思っていたところだが、こいつは案外いいかもしれない。ついでにこいつの値段も聞こう、と思いながら俺は呼び鈴を鳴らした。
*
「ルカの左足小指? よく探すなそんなの」
店長は店員よりも酷い反応だった。思いっきり呆れを顔にのせている。
「あるんかないんか、それだけはっきりしてくれへんか?」
「まぁ待てって。今から確認する」
無い、と即答しない店も珍しい。店長であろう男は後ろの格子状に並んだ引き出しを出してはしまってを繰り返して、眉を寄せた。きっ、と俺の方というか俺の後ろを振り返って、怒鳴る。
「カイトっ! お前また引き出し入れ替えただろ!」
発言の内容に俺がぽかーんとしている間に、「あれ、もう気付いたんですか?」「お前これ何回目だと思ってんだ!?」「メモリが正しい限り十一回目ですね」「しれっと答えんなこんのバカイトがっ!」といった応酬が繰り広げられる。悪いが、と言いながら店長が店員から視線を外して俺を見た。
「ちょっと時間かかる。俺は悪くねぇ。絶対にあいつのせいだ」
そう言って男は俺が返事する前に引き出しの方に向き直った。ぶつくさと文句を言いながらも手際よく引き出しを並べ替えていく。横にも縦にも十以上はあるように見えるのだが、引き出しの中身と配置は把握しきっているらしい。
「他にいるものがあるならあっちに言っとけよ」
手を止めずに店長が言う。その背中に俺は問うた。
「それやったら、あのボカロはいくらなん?」
「はぁ!?」
ぎょ、とした顔で店長が振り返る。
「なんや、商品とちゃうんか?」
売り手と商品という関係のようには確かに見えなかったが。店長の視線が少し厳しくなった、ような気がする。
「売り物だ、あいつは。それよりもあの問題児をよく買おうと思ったな」
「人格がしっかりしとっておもろいやん」
「それだけで買おうと思うか?」
「それだけやねんけどなぁ……あと中古やから新品よか安いんやろ?」
新品の従順さが気持ち悪いと思ってた俺は、買うなら初期化していない中古品だなと思っていた。俺からすれば理想の機体なんだが、それだけじゃ悪いか?
「……まぁな。そもそも、なんでボカロが欲しいんだよ?」
「大学の他の奴が連れてるの見たら俺も欲しなってん。けど新品を自分好みに、っつーんは俺の性に合わんし。やから中古探しとってんけど」
と、そんなことがあったため、俺はアンドロイド関連のジャンク街に来ていた。流石に足の指のパーツとなると中々手に入らない。メーカーから買おうとすると発注しなければならないため時間がかかるし、何より高い。ネットショップで買う事もできるが、俺としてはちゃんと自分の目で確認した物が欲しいところだ。そういう機械オタクの欲求を満たすために、このジャンク街は存在している。
とは言っても「巡音ルカの左足の小指」なんてパーツはそうそうあるわけもなく(足首から下の左足なら見つけたが、小指以外のパーツの処理に困るためひとまず保留だ)。そろそろジャンク街の三分の二は見終わろうかというときにその店はあった。
取り合えず「機械」と名の付く物は何だって扱っているのだろう、店先には全自動掃除機から業務用冷蔵庫、ボーカロイド用の人工毛などと、とにかく雑多に並べられている。それらの埃を、真っ青な髪の店員がはたいていた。髪の色的にボーカロイドだろう。
「あ、いらっしゃいませ!」
夜通し実験をしている他の研究室と違って、俺が配属された研究室はほぼ毎日ちゃんと家に帰れる。というのも研究対称であるボーカロイドに睡眠が必要だからだ。だからこそ研究室の鍵閉めという当番が発生し、それは学年が低い者が担当することになる。のだが。
「彩園寺くんいじめられてるんじゃないの? もはや鍵閉め係になってるよ」
「分かってるわ、んなこと」
研究室所有のボーカロイドの一人、初音がそう指摘するようにいつの間にか4年生の中でも俺だけが部屋の鍵を閉めることになっていた。まぁ、鍵閉めくらいどうってことないんだが。
「ん、っと……電源おっけ窓おっけ、後何か忘れてるか? 俺」
「彩園寺殿。右から二つ目の窓の鍵が閉まっておりませんぞ」
「あ、ホンマや」
同じく研究所所有の神威に言われた窓の鍵を閉める。ふと前を見ると、もうそろそろ夏至なのに窓の外は真っ暗で、窓が鏡のように研究室を映し込んでいる。俺と、初音と、神威がいることを何となく確認して、そこで俺はもう一人のボーカロイドの姿が見えない事に気付いた。
「あれ、巡音は?」
振り返って二人に尋ねる。初音が首を横に振り、
「ルカちゃんは気分が悪いからって、隣の部屋で調整してるよ」
「擬似精神が上手く作動しないと言っておられたな」
「大丈夫なんか? それ」
自己調整が必要な程人工精神の調子が悪いというのは、穏やかではない。
「うーん、それはルカちゃん次第かも。測定のストレスでダメになっちゃう子、結構多いもん」
「ダメに、って相当まずいんとちゃうんかそれ……」
「大丈夫大丈夫。測定さえなかったらすぐに元に戻るから」
「……様子見てから帰るわ。んじゃ閉めるで、この部屋」
初音と神威を研究室から出して、電気を全て消す。それから鍵をかけると、隣の部屋……もとい、ボーカロイド達の生活空間にお邪魔した。
「マスターは、」
俺と二人だけになった部屋で、カイトはぽつりと言った。
「ずるい人ですね」
「なんでや?」
カイトの蒼い瞳が真っ直ぐに俺を写す。
何の歪みも生まずに、ただ、そこにあるものを写し取る。
この機械の純粋さが、人によっては気味が悪いと言うのだけれど、俺は嫌いではない。
「ルカの気持ち、知っているんでしょう?」
ルカ。
この研究室で所有している女性型ボーカロイドの一人だ。
確かにカイトの指摘する通り、俺の自惚れでなければ彼女は俺に好意を抱いているのだろう。
けれども彼女にとっては残念なことに、俺は彼女に対しての特別な好意は持っていない。
あるとすれば研究対象としての興味、ただそれだけだ。
「分かっとる。でも俺はどうとも思っとらんねや」
「あれだけ思わせぶりな態度をとっておいて?」
カイトが驚きと呆れを滲ませた声をあげる。
声音だけで、カイトは感情が読み取れる。
ボーカロイドがここまで情緒豊かなことを俺はこいつを買うまで知らなかった。
研究室のボカロ達はどうにもまだ感情が薄い。
「思わせぶり、って何のことや」
「データの測定が終わったら絶対に声かけてますし、そもそもおれを見つけた時だって彼女の修理のためだったんじゃあないんですか? 扱いも他の皆と比べると丁寧ですし」
「そりゃああれやろ、巡音は女性型やから」
「相手が女性型だったら誰にだって同じ事をするんですか」
「まぁ、そうやろ」
俺は別段巡音を特別扱いした覚えはない。
カイトがゆるゆると首を振った。
「マスター。貴方はボーカロイドに対して普通に接しすぎです」
「それのどこがあかんねん」
「普通は、そんな人格を認めたような態度はとらないんですよ。人間っていうのは」
嫌に冷めた声だった。
「表面的には人間と同じような扱いをするんですけどね、誰でも。でもおれたちのことを機械だと認識しているから、どこかで物扱いするんです。貴方にはそれが無い」
「俺かてお前らは機械やと思ってるで?」
「でも物扱いは絶対にしない」
「なんでお前が言い切るんや」
「それは、おれが貴方のボーカロイドだからです。マスターのことは誰よりも見ているんですよ。マスターの望むロイドになる為に」
これがもっと熱っぽい言い方だったら、また今の場面は異なったものになるのだろう。
でも今は違う。
人間に仕える機械としての、諦観が籠った言葉だった。
こいつに感情があると知っている身としてはそれが、どうしても苦しい。
「……行きましょうか、マスター」
カイトが俺の隣を通り過ぎて部屋の扉に手を掛ける。
俺はその背中に問うた。
「お前の観察の結果、俺はお前に何を望んでるんや?」
こいつは俺が何を望んでいると思っているのだろうか。
カイトは振り返らずに答えた。
「何も。貴方はおれに何かを望んでいるようには思えません」
そのまま先に出て行った背中に、多分俺の言葉は届かなかっただろう。
「違う。違うでカイト」
俺がお前に望むのは。
「俺は、」
ただお前がお前であれば、それでいい。
マス帯でも帯マスでもない。あくまでもこいつらは家族愛。
*
「マスター、いい加減起きたら? 知らないよ、僕は」
「何の、話や……?」
「あのカイトが、機嫌を損ねていないわけがないと思うんだけど」
「あ、……はははは」
「ご愁傷様」
*
カイトに比べたら華奢な身体。それを抱き寄せる。体を震わせて、声を殺して泣いているのには気づかないふりをした。
*
嫌いじゃなかった好きだった。でもきっと、愛だと気付く前に憎んでいた。
*
大丈夫。
もう、怖い夢は見ない。
*
「我慢、我慢、我慢ガマンがまん……!」
「カイ、ト……?」
「何、アカイト」
「い、いや……なんかお前、機嫌悪くないか……?」
「これで良いように見えるの?」
「見えませんごめんなさい」
「……はぁ。アーくんにあたっても仕方が無いよねぇ」
「聞きたく無いが一応聞く。……マスターは?」
「部屋の中で帯人といちゃいちゃしてるんだ絶対。ふたりっきりとか何それ。おれに対して喧嘩売ってるんですか?」
「仲直り中、か」
「最近のマスターはおれがいてもすぐに帯人が帯人がって五月蝿いから今日だけは目をつぶってあげてるの。だからさっさと元に戻れあんのあほっ! あほ!」
「……朝になったら帯人と逃げるか」
*
「帯人」
僕を呼ぶ声がする。だって当たり前だ。僕は気道が塞がるほどの力を込めてはいないのだから。目が合う。彼の目に、僕はどんな顔で映っているのだろう。
体の横のラインをするすると撫で上げられる。背中に手を回されて、ぐいっと彼の肩に引き寄せられた。肘を折り曲げて膝も曲げて、顔だけが彼の肩と顔の隙間に埋まっている。
「その体勢はしんどいやろ。もっと足伸ばし。体重は俺に預けても平気やから」
言われた通りにもぞもぞと足を動かして、でも体格が僕とほぼ同じ彼にのしかかるわけにもいかずに少し体を浮かせる。
「しんどないか?」
小声で平気、とだけ伝えると彼は一つ頷いてそれで、と言葉を続ける。
「手じゃなくて腕を首に回してみ」
それでな、好きなだけそうしとき。
そう言ったきり、彼は何も言わなかった。
*
「今から14年前の話だけど……知ってるのかな」
「内容にもよるんとちゃうか?」
「そう。じゃあ、ボーカロイドの虐待が社会問題となっていたのは覚えてる?」
「……あぁ、今も解決したとは思えへんけど、確かにあの頃は大騒ぎしとったな」
「それじゃあ、そのきっかけは?」
「そこら辺は専門や。まずはボーカロイドが所有者を殺害する事件が発生して大騒ぎ。んで背景をよくよく調べてみるとその所有者は自分のボーカロイドに虐待を加えていた。その憎しみが原因かと思いきや、当のロイドのメモリを解析してみると、所有者が自分のロイドに自分を殺すように強要した結果やった。そこからKAITOシリーズのエクセプション問題も発生したんやけど、それよりも当のKAITOの悲劇性が過剰報道され、煽られて一種の社会問題と化した、んやったか。最後まで嫌や言うてたのに命令されたせいで従わざるをえなかったんやろ? なぁ帯人」
「……察しが早くて助かるよ、貴方は」
「怖いんは俺ちゃうくて『マスター』か?」
「違う。『マスターを殺した自分』だよ」
「いつか俺を手にかけるんとちゃうかと?」
「馬鹿馬鹿しいとは思うけどね。でも不安ってそういうものでしょう?」
「せやな。でも安心しい、帯人。俺は絶対にお前に「やめろ」って言う。絶対に止めたるから。な?」
「……そう、だね。だいたい、貴方の場合は頼む時はカイトだろうし」
「ま、確かに俺が爺さんになってどうしようもなくなった時は考えるかもしれんけどな」
「じゃあ、最後にお願いしてもいい?」
「なんや?」
「……貴方の首を、絞めさせてください」
「自分に厳しい奴やな、帯人は。ええけど、無理はしたらあかんで?」
「一応誰か呼んだ方がいいんじゃないの?」
「俺は死なんもん。必要ないわ」
「そう。じゃあ……横になって」
「ほんま、徹底しとるなぁ……」
*
「マスター! もう、チョコレートを主食にするのはやめてください!」
「うるさいうるさい。ええやないか」
「よくないです! 大袋を一日で空けるなんて体に悪いに決まってます!」
「そんなんザラやし」
「マスター起きてからチョコレートしか食べてないですよね」
「……やってご飯作んの面倒やねんもん。お前もやってみいや。材料切って炒めて混ぜて煮込んで……炒飯もラーメンも作りすぎて飽きたわ。食べたない」
「……つまり、おれがご飯を作ればいいんですね?」
「そりゃまともな食いもんがあればそれ食べるけど……できるん?」
「レシピがあればできるはずです」
「それじゃあかん。レシピがあったところで計量器具あらへんし……ってお前が量ればいいんか。やるか? 料理」
「はい!」
「おっけ。んじゃ計量機能についでに料理ソフトもインストールしてやな。包丁とか皮剥き器とか仕込むか?」
「刃物は切れ味を保つ為には外部で保存した方が効率的だと思いますが」
「それもそうやな。んじゃやろか」
*
「マスター、いい加減起きたら? 知らないよ、僕は」
「何の、話や……?」
「あのカイトが、機嫌を損ねていないわけがないと思うんだけど」
「あ、……はははは」
「ご愁傷様」
*
カイトに比べたら華奢な身体。それを抱き寄せる。体を震わせて、声を殺して泣いているのには気づかないふりをした。
*
嫌いじゃなかった好きだった。でもきっと、愛だと気付く前に憎んでいた。
*
大丈夫。
もう、怖い夢は見ない。
*
「我慢、我慢、我慢ガマンがまん……!」
「カイ、ト……?」
「何、アカイト」
「い、いや……なんかお前、機嫌悪くないか……?」
「これで良いように見えるの?」
「見えませんごめんなさい」
「……はぁ。アーくんにあたっても仕方が無いよねぇ」
「聞きたく無いが一応聞く。……マスターは?」
「部屋の中で帯人といちゃいちゃしてるんだ絶対。ふたりっきりとか何それ。おれに対して喧嘩売ってるんですか?」
「仲直り中、か」
「最近のマスターはおれがいてもすぐに帯人が帯人がって五月蝿いから今日だけは目をつぶってあげてるの。だからさっさと元に戻れあんのあほっ! あほ!」
「……朝になったら帯人と逃げるか」
*
「帯人」
僕を呼ぶ声がする。だって当たり前だ。僕は気道が塞がるほどの力を込めてはいないのだから。目が合う。彼の目に、僕はどんな顔で映っているのだろう。
体の横のラインをするすると撫で上げられる。背中に手を回されて、ぐいっと彼の肩に引き寄せられた。肘を折り曲げて膝も曲げて、顔だけが彼の肩と顔の隙間に埋まっている。
「その体勢はしんどいやろ。もっと足伸ばし。体重は俺に預けても平気やから」
言われた通りにもぞもぞと足を動かして、でも体格が僕とほぼ同じ彼にのしかかるわけにもいかずに少し体を浮かせる。
「しんどないか?」
小声で平気、とだけ伝えると彼は一つ頷いてそれで、と言葉を続ける。
「手じゃなくて腕を首に回してみ」
それでな、好きなだけそうしとき。
そう言ったきり、彼は何も言わなかった。
*
「今から14年前の話だけど……知ってるのかな」
「内容にもよるんとちゃうか?」
「そう。じゃあ、ボーカロイドの虐待が社会問題となっていたのは覚えてる?」
「……あぁ、今も解決したとは思えへんけど、確かにあの頃は大騒ぎしとったな」
「それじゃあ、そのきっかけは?」
「そこら辺は専門や。まずはボーカロイドが所有者を殺害する事件が発生して大騒ぎ。んで背景をよくよく調べてみるとその所有者は自分のボーカロイドに虐待を加えていた。その憎しみが原因かと思いきや、当のロイドのメモリを解析してみると、所有者が自分のロイドに自分を殺すように強要した結果やった。そこからKAITOシリーズのエクセプション問題も発生したんやけど、それよりも当のKAITOの悲劇性が過剰報道され、煽られて一種の社会問題と化した、んやったか。最後まで嫌や言うてたのに命令されたせいで従わざるをえなかったんやろ? なぁ帯人」
「……察しが早くて助かるよ、貴方は」
「怖いんは俺ちゃうくて『マスター』か?」
「違う。『マスターを殺した自分』だよ」
「いつか俺を手にかけるんとちゃうかと?」
「馬鹿馬鹿しいとは思うけどね。でも不安ってそういうものでしょう?」
「せやな。でも安心しい、帯人。俺は絶対にお前に「やめろ」って言う。絶対に止めたるから。な?」
「……そう、だね。だいたい、貴方の場合は頼む時はカイトだろうし」
「ま、確かに俺が爺さんになってどうしようもなくなった時は考えるかもしれんけどな」
「じゃあ、最後にお願いしてもいい?」
「なんや?」
「……貴方の首を、絞めさせてください」
「自分に厳しい奴やな、帯人は。ええけど、無理はしたらあかんで?」
「一応誰か呼んだ方がいいんじゃないの?」
「俺は死なんもん。必要ないわ」
「そう。じゃあ……横になって」
「ほんま、徹底しとるなぁ……」
*
「マスター! もう、チョコレートを主食にするのはやめてください!」
「うるさいうるさい。ええやないか」
「よくないです! 大袋を一日で空けるなんて体に悪いに決まってます!」
「そんなんザラやし」
「マスター起きてからチョコレートしか食べてないですよね」
「……やってご飯作んの面倒やねんもん。お前もやってみいや。材料切って炒めて混ぜて煮込んで……炒飯もラーメンも作りすぎて飽きたわ。食べたない」
「……つまり、おれがご飯を作ればいいんですね?」
「そりゃまともな食いもんがあればそれ食べるけど……できるん?」
「レシピがあればできるはずです」
「それじゃあかん。レシピがあったところで計量器具あらへんし……ってお前が量ればいいんか。やるか? 料理」
「はい!」
「おっけ。んじゃ計量機能についでに料理ソフトもインストールしてやな。包丁とか皮剥き器とか仕込むか?」
「刃物は切れ味を保つ為には外部で保存した方が効率的だと思いますが」
「それもそうやな。んじゃやろか」
「お前、院は行かねーの?」
「せやな。俺は研究者なりたいんとちゃうし。別に一人でも何とかなるからなぁ」
「そりゃあお前の頭脳があればなんとでもなるだろうよ。既に特許で一生遊んで暮らすだけの金は入ってくるんだろ?」
「研究して暮らすには余りにも少ない金額やけどな。まぁ、お前らがおもろい開発してくれんのを期待してるわー」
「はぁぁ。勿体無い。折角のその頭を、ボカロの発展に使う気はないのか?」
「ないな。てか、そんなん別に院におらんくてもできるやん」
「そりゃあお前だったらな! もう勝手にしろ!」
「? 何をそんなに怒ってるんや?」
*
「研究室で所有しているボカロは3体。初音と神威と巡音やな。あと学生が所有してるのが鏡音二体と咲音。とりあえず、そいつらと顔合わせしに行くで」
「咲音っていうのはMEIKOシリーズということですか?」
「せや。研究室のボカロは苗字で呼ぶのが習慣になっとるから、おまえやったら始音か」
「それってKAIKOの名字なんですけど……」
「今更そんなん気にする奴おらんって」
「……気にしてるのはおれなんじゃ?」
「それもそうか。…………ま、気にすんな!」
「はぁ……」
*
「んで、用件は神威が調子悪いからカイトに来てほしいと、そういうわけやな?」
「そうなんだよ。頼む! な?」
「日数×5万やな」
「はぁ!? なんでだよ」
「カイトと俺のレンタル料やと思えば安いもんやろ」
「なんでお前まで来んだよ」
「俺がカイトを一人で行かせるとでも? お前らのところに? 何されるかわかりゃしない」
「お前って昔からそうだよな。研究者が綺麗事言ってどうすんだよ」
「俺の知識欲は他人に無理強いしてまで必要な欲じゃあないんでね」
「悪かったな」
「何かを知りたいと思うのは悪いこととはちゃうやろ」
「じゃあ始音よこせ」
「断る。カイトが嫌がっとるし、あいつは俺のもんでかつ俺が嫌や」
*
おれはアンドロイドだから、先に寝とけ、と言われてしまうと逆らうことはできない。でも放っておくとマスターは寝ることも食べることも忘れて作業に没頭してしまうから、起床時間はできるだけ早めに設定しておいた。只今午前三時。我ながら自分の設定を褒めてやりたい。マスターは机に突っ伏して寝ていた。
「マスター。そんなところで寝ても疲れなんてとれませんよ。起きてください」
起こすのは申し訳ないけれど、でもやっぱりベッドで寝てほしい。机で寝た次の日はいつも首が痛いとマスターは言っている。軽く揺すってみたけれど、マスターはむにゃむにゃ言うだけで全然起きる気配がなかった。もう一度声をかけようとマスターの耳元に口を寄せる。
「マスター、起きてください」
次の瞬間、べしん、と頬に衝撃が走った。何が起きたのか処理をしている間に、僅かに目を開いたマスターと視線が合う。
「あ、おはようございます」
「……何や、カイト」
マスターの声は低かった。
「机で寝てもかえってしんどいだけですよ。ベッドで寝てください」
「しらん。うるさい」
「マスター、」
「起こすな、このあほ」
寝起きのマスターは機嫌が悪い。もう目を閉じてしまって、睡眠の邪魔をするなと訴えてきている。でもねマスター。おれは貴方がベッドで寝てくれればそれで満足なんですよ。だから実力行使です。
「失礼しますよ」
起こさないように耳元でマスターに囁くとまた頬に衝撃。吐息が耳にかかるのが擽ったいらしい。でもそれ以外は何もしてこないのでそのままマスターの体に手をかけた。
眠っている体の体温が暖かくて心地良い。マスターの腕をおれの首に回させて、脇の下から右腕を通す。左腕はマスターの膝の下に回してそっと椅子から持ち上げた。
軽い。平均的な男性よりもマスターは小柄だから当然と言えば当然だけれど、それでも身長と釣り合わない軽さだった。ちゃんと食べてるのかなぁと心配しながらマスターの体をベッドに下ろす。椅子のすぐ裏がベッドだから大したことでもない。それから首に回させた腕を外そうとすると、マスターがうっすら目を開いておれを見ていた。口が微かに動く。
――いかんとって。
その瞬間、無性にマスターを抱きしめたくなった。衝動のままにマスターの隣に倒れ込んでマスターの体を引き寄せる。その頃にはもうマスターは眠ってしまっていて、多分朝に起きた時には狭い、などと言いながら蹴り出されるんだろうなぁ、なんてことを考えながらおれももう一度眠った。
その衝動の名前なんて、考えもしなかった。
*
狭い。けど暖かい。でも狭い。瞼を上げると目の前に何かがあって周りが見えない。首をぐるぐる回してみて、上を見るとそこには奴の顔。
「おはようございます、マスター」
「なにしとんの、おまえ」
カイトがそこにいるということは、この狭さの原因は奴なわけで。でもカイトと寝た覚えは微塵もない。というか昨日はプログラムを書きながら寝落ちしたはずだ。
「まだ起床時刻ではありませんよ」
でもそんなことはどうでもいい。上から降ってくる声が心地良くて、半覚醒だった俺の脳は再びまどろみに落ちる。あやすように触れられる体温が俺の意識を奪っていく。ああでもこれだけは言わないと。
「せまい……」
「そうですよね。すみません、起こしてしまって」
遠くから声が聞こえる。暖かいものが離れていく。寒いのが嫌で手探りでそれを引き止めると、どこかで息を飲んだような音。
「マスター……っ、おやすみなさい」
優しい声に導かれて、今度こそ俺は眠りに落ちた。
*
最近のおれは何かがおかしい。思考が正常にはたらかない時がある。今だってそうだ。繋がれた左手。狭い、とおれの腕の中を嫌がったマスターがおれの腕を掴んでいる。それだけで何も考えられなくなる。おれの思考回路にあるのは、どうしようもなくこの人が好きだ、という当たり前の事だけ。彼はおれのマスターなのだから、好きなのは当然のことだ。でも胸が苦しい。強く抱きしめてもっと彼と触れ合って体温を分け合いたい。でもそれだけじゃあきっと足りない。おれもマスターもどろどろのぐちゃぐちゃに溶け合って、それから一つに混ざり合えば少しは満たされるんだろうか、なんて思うけどそんなことできっこない。何よりマスターを起こしてしまう。
登録解除前のカイトがこんなにマスターが好きでいいんだろうかと自問自答。
主人だから「好き」なんだと思い込んでぐるぐるしてます。
寝ているマスターが大層可愛いのですが何か路線間違ってる、よねぇ……?
*
時系列整理
基準となるアカイトとか帯人が登場する年はマスターが大学を出たその年っぽい。マスターは学部卒で院には行ってない。マスターは2年くらい飛び級してて、あやめがまだ大学生なことを考慮すると大学出てからはそんなに時間は経ってない。
カイトを購入したのは4回生の初夏くらいかなぁ。配属された研究室にも慣れてきた頃。6月下旬から7月の始めくらい。んでお互いに好きになるんだけど、お互いにどういう「好き」なのかを把握しあぐねてる。マスターはもともと機械愛! な人種だからよくわかんないし、カイトは主人だから好きなんだと思い込むし。んで冬くらいからなんかおかしくね? とお互いに思いながらもずるずると関係は続いていって、でマスター卒業。こうなると完全に二人で過ごす時間が多くなってしまって、はっきりさせようじゃないかとマスターの何かが切れる。そしてマスター登録解除。これが3月の終わりから4月にかけての頃。マスターが主人じゃなくなったカイトは自分の気持ちをはっきりと自覚するわけで、早々に告白もして押せ押せ状態。マスターはまだよくわかんなくてうろたえてて、で、最終的に腹を括るのが5月くらいですか。そこでやっとくっつく、と。
アカイト編は秋くらいにしようかなぁ。んで帯人編は冬から春あたりで。
順番を整理するはずだったのになぜ設定を積み立ててるんだかorz
上の話は
・進路の話→大学4回の春、夏? くらい
・カイトを研究室に紹介するのは4回の夏、カイトを買った直後
・カイト貸してくれの話は卒業した次の年の夏。ちなみにこの人がアカイトの前所有者……でいいや
・そのあとのマスター寝てる話は4回の秋から冬くらいの話
って感じの時間帯。ここまで細かく考えるの久しぶりだ……。
「せやな。俺は研究者なりたいんとちゃうし。別に一人でも何とかなるからなぁ」
「そりゃあお前の頭脳があればなんとでもなるだろうよ。既に特許で一生遊んで暮らすだけの金は入ってくるんだろ?」
「研究して暮らすには余りにも少ない金額やけどな。まぁ、お前らがおもろい開発してくれんのを期待してるわー」
「はぁぁ。勿体無い。折角のその頭を、ボカロの発展に使う気はないのか?」
「ないな。てか、そんなん別に院におらんくてもできるやん」
「そりゃあお前だったらな! もう勝手にしろ!」
「? 何をそんなに怒ってるんや?」
*
「研究室で所有しているボカロは3体。初音と神威と巡音やな。あと学生が所有してるのが鏡音二体と咲音。とりあえず、そいつらと顔合わせしに行くで」
「咲音っていうのはMEIKOシリーズということですか?」
「せや。研究室のボカロは苗字で呼ぶのが習慣になっとるから、おまえやったら始音か」
「それってKAIKOの名字なんですけど……」
「今更そんなん気にする奴おらんって」
「……気にしてるのはおれなんじゃ?」
「それもそうか。…………ま、気にすんな!」
「はぁ……」
*
「んで、用件は神威が調子悪いからカイトに来てほしいと、そういうわけやな?」
「そうなんだよ。頼む! な?」
「日数×5万やな」
「はぁ!? なんでだよ」
「カイトと俺のレンタル料やと思えば安いもんやろ」
「なんでお前まで来んだよ」
「俺がカイトを一人で行かせるとでも? お前らのところに? 何されるかわかりゃしない」
「お前って昔からそうだよな。研究者が綺麗事言ってどうすんだよ」
「俺の知識欲は他人に無理強いしてまで必要な欲じゃあないんでね」
「悪かったな」
「何かを知りたいと思うのは悪いこととはちゃうやろ」
「じゃあ始音よこせ」
「断る。カイトが嫌がっとるし、あいつは俺のもんでかつ俺が嫌や」
*
おれはアンドロイドだから、先に寝とけ、と言われてしまうと逆らうことはできない。でも放っておくとマスターは寝ることも食べることも忘れて作業に没頭してしまうから、起床時間はできるだけ早めに設定しておいた。只今午前三時。我ながら自分の設定を褒めてやりたい。マスターは机に突っ伏して寝ていた。
「マスター。そんなところで寝ても疲れなんてとれませんよ。起きてください」
起こすのは申し訳ないけれど、でもやっぱりベッドで寝てほしい。机で寝た次の日はいつも首が痛いとマスターは言っている。軽く揺すってみたけれど、マスターはむにゃむにゃ言うだけで全然起きる気配がなかった。もう一度声をかけようとマスターの耳元に口を寄せる。
「マスター、起きてください」
次の瞬間、べしん、と頬に衝撃が走った。何が起きたのか処理をしている間に、僅かに目を開いたマスターと視線が合う。
「あ、おはようございます」
「……何や、カイト」
マスターの声は低かった。
「机で寝てもかえってしんどいだけですよ。ベッドで寝てください」
「しらん。うるさい」
「マスター、」
「起こすな、このあほ」
寝起きのマスターは機嫌が悪い。もう目を閉じてしまって、睡眠の邪魔をするなと訴えてきている。でもねマスター。おれは貴方がベッドで寝てくれればそれで満足なんですよ。だから実力行使です。
「失礼しますよ」
起こさないように耳元でマスターに囁くとまた頬に衝撃。吐息が耳にかかるのが擽ったいらしい。でもそれ以外は何もしてこないのでそのままマスターの体に手をかけた。
眠っている体の体温が暖かくて心地良い。マスターの腕をおれの首に回させて、脇の下から右腕を通す。左腕はマスターの膝の下に回してそっと椅子から持ち上げた。
軽い。平均的な男性よりもマスターは小柄だから当然と言えば当然だけれど、それでも身長と釣り合わない軽さだった。ちゃんと食べてるのかなぁと心配しながらマスターの体をベッドに下ろす。椅子のすぐ裏がベッドだから大したことでもない。それから首に回させた腕を外そうとすると、マスターがうっすら目を開いておれを見ていた。口が微かに動く。
――いかんとって。
その瞬間、無性にマスターを抱きしめたくなった。衝動のままにマスターの隣に倒れ込んでマスターの体を引き寄せる。その頃にはもうマスターは眠ってしまっていて、多分朝に起きた時には狭い、などと言いながら蹴り出されるんだろうなぁ、なんてことを考えながらおれももう一度眠った。
その衝動の名前なんて、考えもしなかった。
*
狭い。けど暖かい。でも狭い。瞼を上げると目の前に何かがあって周りが見えない。首をぐるぐる回してみて、上を見るとそこには奴の顔。
「おはようございます、マスター」
「なにしとんの、おまえ」
カイトがそこにいるということは、この狭さの原因は奴なわけで。でもカイトと寝た覚えは微塵もない。というか昨日はプログラムを書きながら寝落ちしたはずだ。
「まだ起床時刻ではありませんよ」
でもそんなことはどうでもいい。上から降ってくる声が心地良くて、半覚醒だった俺の脳は再びまどろみに落ちる。あやすように触れられる体温が俺の意識を奪っていく。ああでもこれだけは言わないと。
「せまい……」
「そうですよね。すみません、起こしてしまって」
遠くから声が聞こえる。暖かいものが離れていく。寒いのが嫌で手探りでそれを引き止めると、どこかで息を飲んだような音。
「マスター……っ、おやすみなさい」
優しい声に導かれて、今度こそ俺は眠りに落ちた。
*
最近のおれは何かがおかしい。思考が正常にはたらかない時がある。今だってそうだ。繋がれた左手。狭い、とおれの腕の中を嫌がったマスターがおれの腕を掴んでいる。それだけで何も考えられなくなる。おれの思考回路にあるのは、どうしようもなくこの人が好きだ、という当たり前の事だけ。彼はおれのマスターなのだから、好きなのは当然のことだ。でも胸が苦しい。強く抱きしめてもっと彼と触れ合って体温を分け合いたい。でもそれだけじゃあきっと足りない。おれもマスターもどろどろのぐちゃぐちゃに溶け合って、それから一つに混ざり合えば少しは満たされるんだろうか、なんて思うけどそんなことできっこない。何よりマスターを起こしてしまう。
登録解除前のカイトがこんなにマスターが好きでいいんだろうかと自問自答。
主人だから「好き」なんだと思い込んでぐるぐるしてます。
寝ているマスターが大層可愛いのですが何か路線間違ってる、よねぇ……?
*
時系列整理
基準となるアカイトとか帯人が登場する年はマスターが大学を出たその年っぽい。マスターは学部卒で院には行ってない。マスターは2年くらい飛び級してて、あやめがまだ大学生なことを考慮すると大学出てからはそんなに時間は経ってない。
カイトを購入したのは4回生の初夏くらいかなぁ。配属された研究室にも慣れてきた頃。6月下旬から7月の始めくらい。んでお互いに好きになるんだけど、お互いにどういう「好き」なのかを把握しあぐねてる。マスターはもともと機械愛! な人種だからよくわかんないし、カイトは主人だから好きなんだと思い込むし。んで冬くらいからなんかおかしくね? とお互いに思いながらもずるずると関係は続いていって、でマスター卒業。こうなると完全に二人で過ごす時間が多くなってしまって、はっきりさせようじゃないかとマスターの何かが切れる。そしてマスター登録解除。これが3月の終わりから4月にかけての頃。マスターが主人じゃなくなったカイトは自分の気持ちをはっきりと自覚するわけで、早々に告白もして押せ押せ状態。マスターはまだよくわかんなくてうろたえてて、で、最終的に腹を括るのが5月くらいですか。そこでやっとくっつく、と。
アカイト編は秋くらいにしようかなぁ。んで帯人編は冬から春あたりで。
順番を整理するはずだったのになぜ設定を積み立ててるんだかorz
上の話は
・進路の話→大学4回の春、夏? くらい
・カイトを研究室に紹介するのは4回の夏、カイトを買った直後
・カイト貸してくれの話は卒業した次の年の夏。ちなみにこの人がアカイトの前所有者……でいいや
・そのあとのマスター寝てる話は4回の秋から冬くらいの話
って感じの時間帯。ここまで細かく考えるの久しぶりだ……。
カイマスのバカップル具合が異常。個人的には砂吐きレベル。
*
「マスター」
「嫌や。聞きたくない」
「おれはあなたに伝えたいんです」
「俺は知らん。何も知らん。知らんったら知らん!」
「どうしてそう怖がるんですか」
「やっていつかは無くなってしまうやないか。俺は嫌や。そんなん嫌や」
「それは、おれがマスターに伝えても伝えなくても同じ事です。同じなら、おれはあなたに聞いてほしい。知っていてほしいと思います。だから、腹を括ってもらえますか?」
「……主人相手になんつー言い種や」
「マスター」
「……」
「おれは、あなたが好きです」
「……やから、聞きとうないって言ったのに」
「貴方がマスターでなくなって、漸くはっきりとしました。マスターとしてではなく、一人の人間として貴方が好きなんです」
「……そうか」
「はい」
「…………はぁぁぁ。ごめんな、カイト。俺はお前の事どう思ってんのかようわからへん」
「はっきりさせる必要も無いと思いますよ。おれのこと、嫌いですか? マスター」
「それはないわ。嫌いちゃうよ」
「その言葉だけでおれは十分です」
「あんがと、カイト。整理ついたら、ちゃんとお前に言うから」
*
「カイトっ! おま、キスうますぎやろ!?」
「……誰と比較しての言葉ですか?」
「俺の予想とや経験なくて悪かったなっ!」
「おれも無いですよ……あれをカウントにいれていいのかなぁ?」
「……あれって?」
「昔PVでキスシーンがあったからとりあえずインストールしてもらっただけです。おれはアンドロイドですよ? 主人(ひと)を悦ばせる方法も一通りは知ってます。……と、言えたらいいんですけどね」
「へぇ……」
「ところでマスター」
「なんや?」
「もう一回」
「……ええよ、勝手にしい」
*
「あほやな、あの店長」
「でもいい人なんですよ」
「そりゃわかる。でも起動50年越えなんて今じゃあプレミアがつくようなもんやで? それをあの金額で他人に渡すとか、信じられへんわ……」
「全部おれが断ってきましたからね、そういう話は。もの珍しさだけでおれを選ぶ自己顕示欲の強い人間のところには行きたくないですから」
「……それを俺の前で言うか?」
「足の中指だけ探し回る人ような人だったら、一つの物を長く使いつづけるタイプの人かなぁとおれが思っただけです」
*
「あ、いらっしゃいませー」
「邪魔すんで……へぇ、ボカロも働かせてるんか」
「いえいえ。おれは中々売れないから店長に『電気代分働け』って言われて使われてるだけですよ」
「売れへんの? よう仕事できてるやん」
「ありがとうございます。どうやら売り物にみえないみたいですよ。それに起動時間が長いもんで」
「へぇ。どんくらい?」
「ざっと60年くらいですね」
「60!? ようそんなに起動し続けてきたなぁ。というかおじいちゃん?」
「外見に合わせて貰って構いませんよ。人格回路に起動年月は関係ありませんから。っていけない、お兄さん、御所望の品はありますか? 最新のボーカロイドから業務用小型機械まで幅広く置いてますよ」
「今整備用のパーツ探しとんねん。巡音ルカの左足の中指のパーツない? どこ行ってもないねん」
「……お兄さん、随分と探し回ってるんですねぇ。細かいパーツはおれにはわかりません。呼び鈴で店長を呼んで聞いてみてもらえますか?」
「わかった。仕事の邪魔して悪かったな」
「お客さんの応対も仕事のうちですよ」
「ルカの左足の中指のパーツ? んなもんあるわけねぇ……ってちょっと待てよ、旧型ならあったかもしんねぇ」
「あるんか!? すごい店やな」
「そういう細かいニーズに対応しないとやってけないんだよ、こういう仕事は」
「あぁ、わかるわかる。大抵の人はメーカーに流れるもんなぁ……」
「……同業者かよ」
「修理メインやけどな」
「へぇ。……ああ、あった。これだろ、ルカの足の指」
「おお、これやこれ! よかったわ見つかってー。なんぼ?」
「シール貼ってるだろ」
「了解。……それとさぁ、あの店頭のおじいちゃんKAITO卸してくんね?」
「お前今修理屋だって言ってたよな?」
「ええの、あかんの?」
「機体のライセンス切れで売りたくても売れねぇんだよ、あいつは。機体の変更料込みで値段をつけると新品以上の値段になりやがるし、それでも欲しいっつうけったいな収集家のところには行きたがらねぇし」
「やーかーらー、卸してってゆうとるやろ? 業者への販売にはライセンス切れもなんもあらへんやんか」
「あーそうか。……買う?」
「機体は俺が用意するし載せ換えも俺がやるから、あいつ単体の値段は?」
「その指に丸を一つ足したくらいだな」
「安っ。……流石に起動60年じゃあなぁ。そうなるわな」
「金はあんのか? 現金払いを歓迎するが」
「ああ、それは大丈夫や」
「ならいい。おいKAITO! ちょっと奥来い!」
「呼びましたか、店長?」
「こいつがお前を買うと。業者だからライセンス切れも心配無用」
「ええぇっ!? 随分と急ですね、お兄さん……」
「後はお前次第やねんけど。どうする?」
「わざわざおれを選ぶ理由は?」
「家で使えそう、爺さんだが見方を変えればアンティークで貴重……とかか?」
「まぁいつもみたいに一週間くらい行ってみればどうだ?」
「そうですね。よろしくお願いします」
*
ただの人間だと思えばどうってことない。どこにでもいる人間の、その中の一人とたまたま同居しているだけだと思い込めば。メモリに刻まれた所有者としての名前も、ただ名前を借りているだけ。そう、思っていたのに。
一度彼を『マスター』と認識してしまうともう駄目。メモリが混在して今がいつか分からなくなる。マスターという認識には常にあの人の影が付き纏う。
「帯人……? お前、最近元気あらへんけどどうしたんや?」
「別に。なんでもない」
大丈夫。彼は違う。あの人じゃあない。あの人はもういないんだから。
「僕なんかに構ってる場合なの? カイトに仕事させて、自分は休憩なんて最低だと思うけど」
「それがロイドの仕事やろうに……まぁ、申し訳ないとは思っとるけどさ」
彼が冷凍庫の扉を開ける。そう、そして取り出すのは何時だってアイスピックだった。そして僕にそれを突き立てる。血液すら流れていない僕を傷つけたって何も面白くないだろうに。意味のない痛みを感じて涙を流す僕を、綺麗だとさえ言って……。
「たーいーと? お前本当に大丈夫か?」
違う、違う。彼はあの人じゃあない。あの人はもういないんだから。僕を落ち着ける呪文。最後の一言はいつも知らないふりをするけれど。
「もし大丈夫じゃなかったら? そしたらアンタはどうするの? アンタ達が勝手に決めた正常に当て嵌まらなかったら、それだけで僕たちを否定するくせに」
そう、この人はただの人間。いくらでもいる有象無象の一人。いてもいなくてもかわらない人。
「……ごめん。そういうつもりやなかった」
眉を寄せて悲しげな顔をしたって、僕は何とも思わない。だってこの人はどこにでもいる人間のうちの一人なんだから。
酷い事を言う度に悲鳴を上げつづける心の軋みには、気づかなかったことにした。
*
「なぁカイト」
「なんですか?」
「最近帯人が冷たいねん」
「……そうですか?」
「そうやって! ちょっとは俺のこと、信じてくれるようになったんかなぁって思ったのになぁ……」
「おれは、帯人はマスターのこと信頼してると思いますよ」
「ホンマか?」
「ええ」
「ホンマのホンマに?」
「……確認してくればいいでしょう、今。仕事はおれがやっときますから。ね?」
「おう。……さんきゅ、カイト」
「どういたしまして。それじゃあ、先に『ご褒美』を頂けますか?」
「ああ」
「で?」
マスターの入れてきた氷水を煽って、おれはマスターの方をみやる。別に返答なんてなくったって、結果は一目瞭然。
「……もっと酷なった」
床に「orz」の体勢をとりながらマスターが落ち込んでいる。でも、どうしてだろう? 同じ型のロイドだから、というわけでもないけれど、帯人がマスターを所有者(マスター)として認めつつあるのは見ていれば分かる。皮肉屋なのは相変わらずだけど、マスターの話にちゃんと耳を傾けるようになった。
「おれにはよくわかりませんね。なんでわざわざ嫌われようとするんだか」
「……ツン期到来?」
「あまりにも短いデレ期でしたね」
マスターに睨まれた。でも全然迫力がない。
「俺がおるからあんな顔しよんのか? お前らとおるときは楽しそうやのに、俺と帯人だけになったらえらい悲壮な顔してさ」
「悲壮、ですか。嫌悪ではなくて?」
「はっきり嫌ってくれたら俺こんなに悩まへんわ……」
あーああ、とマスターがため息。おれとしてもさっさと仲直りでも決裂でもいいからなんとかしてほしい。最近のマスターは帯人帯人ばっかり。
*
「……お前らってさぁ、仲いいんか悪いんかようわからへんわ」
「おれと帯人ですか?」
「仲良いの? 僕ら」
「悪くはないと思うけど、良いとも思えないよねぇ?」
「根本的にはそっくりだもんね、僕ら。亜種とはいえアカイトと違って僕は後天型だし」
「今度アーくん騙してみる? 人格入れ替わったーとか言って、おれが帯人のふりして帯人がおれのふりすんの」
「いいねそれ。楽しそう」
「……アカが俺に『カイトとキスしろ』とか言ったらすぐバレるんちゃうか? あいつそういう知恵はまわるし」
「うっ……マスターがいないところでやります」
「いいじゃん僕が役得で」
「帯人がよくてもおれが嫌なの!」
「言われなくてもそんなのわかってるよ」
「……相性はええんか?」
「さぁ?」
「げっ! アカ、お前いつからおったんや……?」
「最初から。ったく、オレが外回りしてる間にお前らは何してんだよ?」
「お疲れさん、アカ。今のは休憩やで? いつもはもうちょっと真面目にやっとるで?」
「嘘くせえ」
「ひっどいなぁ……」
*
だけど何よりも絶望したことは。
『死なないでほしい』と願ったのは三原則を破る恐怖から発せられた願いであって、決して僕自信は死なないでほしいとは思っていなかったということだ。そしてあの人はそこまで見抜いていた。
*
壊してしまえば。この人がいなくなれば。僕はあの人のことを忘れられる……?
「帯人。ダメだよ」
でもきっとできない。この小姑みたいな正規品がいる限り。主人に似て優しすぎるこいつは、僕が衝動のままに行動しても後悔するだけだからと絶対に止めに入る。半分以上は自分の都合があるのも知っているけれど。
「……わかってる」
でも。それじゃあ。この不安はどうすればいい? あの人はもういないと思うと、僕があの人を殺したという事を思い出す。そのことを忘れようとするとまだあの人が生きているような気がする。
*
「マスター」
「嫌や。聞きたくない」
「おれはあなたに伝えたいんです」
「俺は知らん。何も知らん。知らんったら知らん!」
「どうしてそう怖がるんですか」
「やっていつかは無くなってしまうやないか。俺は嫌や。そんなん嫌や」
「それは、おれがマスターに伝えても伝えなくても同じ事です。同じなら、おれはあなたに聞いてほしい。知っていてほしいと思います。だから、腹を括ってもらえますか?」
「……主人相手になんつー言い種や」
「マスター」
「……」
「おれは、あなたが好きです」
「……やから、聞きとうないって言ったのに」
「貴方がマスターでなくなって、漸くはっきりとしました。マスターとしてではなく、一人の人間として貴方が好きなんです」
「……そうか」
「はい」
「…………はぁぁぁ。ごめんな、カイト。俺はお前の事どう思ってんのかようわからへん」
「はっきりさせる必要も無いと思いますよ。おれのこと、嫌いですか? マスター」
「それはないわ。嫌いちゃうよ」
「その言葉だけでおれは十分です」
「あんがと、カイト。整理ついたら、ちゃんとお前に言うから」
*
「カイトっ! おま、キスうますぎやろ!?」
「……誰と比較しての言葉ですか?」
「俺の予想とや経験なくて悪かったなっ!」
「おれも無いですよ……あれをカウントにいれていいのかなぁ?」
「……あれって?」
「昔PVでキスシーンがあったからとりあえずインストールしてもらっただけです。おれはアンドロイドですよ? 主人(ひと)を悦ばせる方法も一通りは知ってます。……と、言えたらいいんですけどね」
「へぇ……」
「ところでマスター」
「なんや?」
「もう一回」
「……ええよ、勝手にしい」
*
「あほやな、あの店長」
「でもいい人なんですよ」
「そりゃわかる。でも起動50年越えなんて今じゃあプレミアがつくようなもんやで? それをあの金額で他人に渡すとか、信じられへんわ……」
「全部おれが断ってきましたからね、そういう話は。もの珍しさだけでおれを選ぶ自己顕示欲の強い人間のところには行きたくないですから」
「……それを俺の前で言うか?」
「足の中指だけ探し回る人ような人だったら、一つの物を長く使いつづけるタイプの人かなぁとおれが思っただけです」
*
「あ、いらっしゃいませー」
「邪魔すんで……へぇ、ボカロも働かせてるんか」
「いえいえ。おれは中々売れないから店長に『電気代分働け』って言われて使われてるだけですよ」
「売れへんの? よう仕事できてるやん」
「ありがとうございます。どうやら売り物にみえないみたいですよ。それに起動時間が長いもんで」
「へぇ。どんくらい?」
「ざっと60年くらいですね」
「60!? ようそんなに起動し続けてきたなぁ。というかおじいちゃん?」
「外見に合わせて貰って構いませんよ。人格回路に起動年月は関係ありませんから。っていけない、お兄さん、御所望の品はありますか? 最新のボーカロイドから業務用小型機械まで幅広く置いてますよ」
「今整備用のパーツ探しとんねん。巡音ルカの左足の中指のパーツない? どこ行ってもないねん」
「……お兄さん、随分と探し回ってるんですねぇ。細かいパーツはおれにはわかりません。呼び鈴で店長を呼んで聞いてみてもらえますか?」
「わかった。仕事の邪魔して悪かったな」
「お客さんの応対も仕事のうちですよ」
「ルカの左足の中指のパーツ? んなもんあるわけねぇ……ってちょっと待てよ、旧型ならあったかもしんねぇ」
「あるんか!? すごい店やな」
「そういう細かいニーズに対応しないとやってけないんだよ、こういう仕事は」
「あぁ、わかるわかる。大抵の人はメーカーに流れるもんなぁ……」
「……同業者かよ」
「修理メインやけどな」
「へぇ。……ああ、あった。これだろ、ルカの足の指」
「おお、これやこれ! よかったわ見つかってー。なんぼ?」
「シール貼ってるだろ」
「了解。……それとさぁ、あの店頭のおじいちゃんKAITO卸してくんね?」
「お前今修理屋だって言ってたよな?」
「ええの、あかんの?」
「機体のライセンス切れで売りたくても売れねぇんだよ、あいつは。機体の変更料込みで値段をつけると新品以上の値段になりやがるし、それでも欲しいっつうけったいな収集家のところには行きたがらねぇし」
「やーかーらー、卸してってゆうとるやろ? 業者への販売にはライセンス切れもなんもあらへんやんか」
「あーそうか。……買う?」
「機体は俺が用意するし載せ換えも俺がやるから、あいつ単体の値段は?」
「その指に丸を一つ足したくらいだな」
「安っ。……流石に起動60年じゃあなぁ。そうなるわな」
「金はあんのか? 現金払いを歓迎するが」
「ああ、それは大丈夫や」
「ならいい。おいKAITO! ちょっと奥来い!」
「呼びましたか、店長?」
「こいつがお前を買うと。業者だからライセンス切れも心配無用」
「ええぇっ!? 随分と急ですね、お兄さん……」
「後はお前次第やねんけど。どうする?」
「わざわざおれを選ぶ理由は?」
「家で使えそう、爺さんだが見方を変えればアンティークで貴重……とかか?」
「まぁいつもみたいに一週間くらい行ってみればどうだ?」
「そうですね。よろしくお願いします」
*
ただの人間だと思えばどうってことない。どこにでもいる人間の、その中の一人とたまたま同居しているだけだと思い込めば。メモリに刻まれた所有者としての名前も、ただ名前を借りているだけ。そう、思っていたのに。
一度彼を『マスター』と認識してしまうともう駄目。メモリが混在して今がいつか分からなくなる。マスターという認識には常にあの人の影が付き纏う。
「帯人……? お前、最近元気あらへんけどどうしたんや?」
「別に。なんでもない」
大丈夫。彼は違う。あの人じゃあない。あの人はもういないんだから。
「僕なんかに構ってる場合なの? カイトに仕事させて、自分は休憩なんて最低だと思うけど」
「それがロイドの仕事やろうに……まぁ、申し訳ないとは思っとるけどさ」
彼が冷凍庫の扉を開ける。そう、そして取り出すのは何時だってアイスピックだった。そして僕にそれを突き立てる。血液すら流れていない僕を傷つけたって何も面白くないだろうに。意味のない痛みを感じて涙を流す僕を、綺麗だとさえ言って……。
「たーいーと? お前本当に大丈夫か?」
違う、違う。彼はあの人じゃあない。あの人はもういないんだから。僕を落ち着ける呪文。最後の一言はいつも知らないふりをするけれど。
「もし大丈夫じゃなかったら? そしたらアンタはどうするの? アンタ達が勝手に決めた正常に当て嵌まらなかったら、それだけで僕たちを否定するくせに」
そう、この人はただの人間。いくらでもいる有象無象の一人。いてもいなくてもかわらない人。
「……ごめん。そういうつもりやなかった」
眉を寄せて悲しげな顔をしたって、僕は何とも思わない。だってこの人はどこにでもいる人間のうちの一人なんだから。
酷い事を言う度に悲鳴を上げつづける心の軋みには、気づかなかったことにした。
*
「なぁカイト」
「なんですか?」
「最近帯人が冷たいねん」
「……そうですか?」
「そうやって! ちょっとは俺のこと、信じてくれるようになったんかなぁって思ったのになぁ……」
「おれは、帯人はマスターのこと信頼してると思いますよ」
「ホンマか?」
「ええ」
「ホンマのホンマに?」
「……確認してくればいいでしょう、今。仕事はおれがやっときますから。ね?」
「おう。……さんきゅ、カイト」
「どういたしまして。それじゃあ、先に『ご褒美』を頂けますか?」
「ああ」
「で?」
マスターの入れてきた氷水を煽って、おれはマスターの方をみやる。別に返答なんてなくったって、結果は一目瞭然。
「……もっと酷なった」
床に「orz」の体勢をとりながらマスターが落ち込んでいる。でも、どうしてだろう? 同じ型のロイドだから、というわけでもないけれど、帯人がマスターを所有者(マスター)として認めつつあるのは見ていれば分かる。皮肉屋なのは相変わらずだけど、マスターの話にちゃんと耳を傾けるようになった。
「おれにはよくわかりませんね。なんでわざわざ嫌われようとするんだか」
「……ツン期到来?」
「あまりにも短いデレ期でしたね」
マスターに睨まれた。でも全然迫力がない。
「俺がおるからあんな顔しよんのか? お前らとおるときは楽しそうやのに、俺と帯人だけになったらえらい悲壮な顔してさ」
「悲壮、ですか。嫌悪ではなくて?」
「はっきり嫌ってくれたら俺こんなに悩まへんわ……」
あーああ、とマスターがため息。おれとしてもさっさと仲直りでも決裂でもいいからなんとかしてほしい。最近のマスターは帯人帯人ばっかり。
*
「……お前らってさぁ、仲いいんか悪いんかようわからへんわ」
「おれと帯人ですか?」
「仲良いの? 僕ら」
「悪くはないと思うけど、良いとも思えないよねぇ?」
「根本的にはそっくりだもんね、僕ら。亜種とはいえアカイトと違って僕は後天型だし」
「今度アーくん騙してみる? 人格入れ替わったーとか言って、おれが帯人のふりして帯人がおれのふりすんの」
「いいねそれ。楽しそう」
「……アカが俺に『カイトとキスしろ』とか言ったらすぐバレるんちゃうか? あいつそういう知恵はまわるし」
「うっ……マスターがいないところでやります」
「いいじゃん僕が役得で」
「帯人がよくてもおれが嫌なの!」
「言われなくてもそんなのわかってるよ」
「……相性はええんか?」
「さぁ?」
「げっ! アカ、お前いつからおったんや……?」
「最初から。ったく、オレが外回りしてる間にお前らは何してんだよ?」
「お疲れさん、アカ。今のは休憩やで? いつもはもうちょっと真面目にやっとるで?」
「嘘くせえ」
「ひっどいなぁ……」
*
だけど何よりも絶望したことは。
『死なないでほしい』と願ったのは三原則を破る恐怖から発せられた願いであって、決して僕自信は死なないでほしいとは思っていなかったということだ。そしてあの人はそこまで見抜いていた。
*
壊してしまえば。この人がいなくなれば。僕はあの人のことを忘れられる……?
「帯人。ダメだよ」
でもきっとできない。この小姑みたいな正規品がいる限り。主人に似て優しすぎるこいつは、僕が衝動のままに行動しても後悔するだけだからと絶対に止めに入る。半分以上は自分の都合があるのも知っているけれど。
「……わかってる」
でも。それじゃあ。この不安はどうすればいい? あの人はもういないと思うと、僕があの人を殺したという事を思い出す。そのことを忘れようとするとまだあの人が生きているような気がする。
なんとなく話を整理してみる。
今のところ大きな区切り目は
①
・カイトのマスター登録解除
↓②
・アカイト同居スタート
↓③
・帯人同居スタート
④
って感じ。
で、ネタがあるのは
①→帯人の最初のマスターの話/カイト過去話もろもろ/カイト登録解除までの話
②→マスカイいちゃいちゃ/アカイト編/マスター里帰り
③→赤だけいて帯人がいない小話いろいろ/帯人拾う話
④→帯人編/鏡音編?
って感じ。
とりあえず区切りとなる話から書くか……。
あとKAITO達の起動年月についてですが、
カイト→60年越え。初代マスターが作曲家で初代マスター名義で歌った歌多数。そのころの歌はメモリにたっぷり入ってる。けど今は当時と機体が違う為に全く同じには歌えない。初代マスターの時に合成音声から人工声帯へ一回目の機体変更。初代マスターのところに40年くらいかなぁ。次のマスターはおばあちゃんで、近所の子供達相手に音楽教室を開いたりしてた。歌の調教はできないために初めから歌データが大量に入ったカイトを気にいって購入。おばあちゃんが亡くなった後にお店に売却されて、お店で機体を最新に更新させられる。でお店で数年起動していた(あまりにも売れなくて店の仕事まで覚えつつあった)後に現マスターに引き取られる、と。現マスターの改造せいでマスター登録と三原則が外れてる。
アカイト→まだ10年も起動していない。初めからバグモデル・AKAITOとして闇市に流されており、本人の特性もあって所有者のところを逃亡すること数知れず。結局反所有派のロイド達のグループに身を寄せることに。でも若干老獪なカイトとか捻くれものの帯人に比べるととっても純粋。バグでマスター登録に拘束性がない。
帯人→初代マスターが病んでた。初代がそんなんだったもんだからいまいち他人の愛し方が分からない。虐待されて大きくなった子が自分の子供を虐待してしまうのと同じような感じ。起動年月はマスターより数ヵ月短いくらい。帯人が初代マスターを殺した時はまだカイトは初代マスターの元にいた。初代を殺した後は「三原則を破ったアンドロイドのサンプル」としてしばらく研究所っぽいところに入れられたのち、普通に売却される。が、マスターが怖くて仕方がないから自分から嫌われる、を繰り返すうちにどんどん人間嫌いになり、最終的にアカイトと同じく反所有派のグループに身を寄せていた。バグでロボット三原則が外れている。
設定長いなw
今のところ大きな区切り目は
①
・カイトのマスター登録解除
↓②
・アカイト同居スタート
↓③
・帯人同居スタート
④
って感じ。
で、ネタがあるのは
①→帯人の最初のマスターの話/カイト過去話もろもろ/カイト登録解除までの話
②→マスカイいちゃいちゃ/アカイト編/マスター里帰り
③→赤だけいて帯人がいない小話いろいろ/帯人拾う話
④→帯人編/鏡音編?
って感じ。
とりあえず区切りとなる話から書くか……。
あとKAITO達の起動年月についてですが、
カイト→60年越え。初代マスターが作曲家で初代マスター名義で歌った歌多数。そのころの歌はメモリにたっぷり入ってる。けど今は当時と機体が違う為に全く同じには歌えない。初代マスターの時に合成音声から人工声帯へ一回目の機体変更。初代マスターのところに40年くらいかなぁ。次のマスターはおばあちゃんで、近所の子供達相手に音楽教室を開いたりしてた。歌の調教はできないために初めから歌データが大量に入ったカイトを気にいって購入。おばあちゃんが亡くなった後にお店に売却されて、お店で機体を最新に更新させられる。でお店で数年起動していた(あまりにも売れなくて店の仕事まで覚えつつあった)後に現マスターに引き取られる、と。現マスターの改造せいでマスター登録と三原則が外れてる。
アカイト→まだ10年も起動していない。初めからバグモデル・AKAITOとして闇市に流されており、本人の特性もあって所有者のところを逃亡すること数知れず。結局反所有派のロイド達のグループに身を寄せることに。でも若干老獪なカイトとか捻くれものの帯人に比べるととっても純粋。バグでマスター登録に拘束性がない。
帯人→初代マスターが病んでた。初代がそんなんだったもんだからいまいち他人の愛し方が分からない。虐待されて大きくなった子が自分の子供を虐待してしまうのと同じような感じ。起動年月はマスターより数ヵ月短いくらい。帯人が初代マスターを殺した時はまだカイトは初代マスターの元にいた。初代を殺した後は「三原則を破ったアンドロイドのサンプル」としてしばらく研究所っぽいところに入れられたのち、普通に売却される。が、マスターが怖くて仕方がないから自分から嫌われる、を繰り返すうちにどんどん人間嫌いになり、最終的にアカイトと同じく反所有派のグループに身を寄せていた。バグでロボット三原則が外れている。
設定長いなw
まさかの前マスターがヤンデル。ヤンデレじゃなくて病んでる。(大事なことなので二回言いました)
我ながらびっくりするくらいダークです。ご注意を。
*
ぽろり、とカイトの目から涙が溢れる。虚空を見つめていた瞳に光が戻ると、しがみつくかのように僕を抱きしめた。そしてみっともなくも大声で泣きだした。
「……見たんだ」
「ごめっ、たい、に干渉、しよ、っとする、と、どうして、もっ」
あの後連れていかれた警察での反応もこうだった。もっとも、外部からの反応を受け付けなくなった僕からメモリを抜こうと干渉してきたロイドは僕のメモリに触れた瞬間に機能停止に陥っていたけれど。カイトが泣くだけで済んでいるのは、僕と同じ旧型のKAITOシリーズだからなのだろう。
僕とマスターの事件は社会に大きな衝撃を与えた。アンドロイドがマスターを手に掛けたのだから当然だ。僕の事件が起きた原因は、KAITOシリーズに設定されていたエクセプションだった。メーカーによると、本来は安楽死を想定して、マスターが死を望んだ場合にだけロボット三原則の例外が発生するように設定していたらしい。が、自殺の幇助をアンドロイドにさせていいのかと大バッシングを食らい、それ以降に生産されたKAITOシリーズではではこのエクセプションの発動条件はかなり厳しくなったようだ。それでも安楽死という選択肢が存在するのは、成人男性型ボーカロイドは介護用ロイドとしての需要が大きいのが関係しているのだろう。
「落ち着いた?」
「うんっ……。行こう、帯人。マスターのところに、帰ろう?」
*
「嫌だっ! マスター、外してください!」
首と、両手と、両足と。もう慣れた金属の冷たさが僕を拘束する。いつもだったらマスターから逃れないためなのに、今日は違う。僕が、マスターの邪魔をしない為。
「お前は私に『嫌だ』ばかり言うね」
「あっ……ふぅっ、んっ」
いつも通りの強引な口づけ。自然と目尻に涙が滲むけれど、マスターはそれを丁寧に舌で拭い取った。僕が、絶対に見逃さないようにするため。
「いい? ちゃんと最後まで見ておくんだよ」
「嫌ですっ……お願い、マスターやめてっ」
「んー、どうしようかなぁ?」
意地の悪い顔でマスターが僕の顔を覗き込む。よかった。少しでも考えてくれるんだ。じゃあ、何とかして説得しないと。
「お願い、しますっ! 僕何だってしますから!」
「本当に?」
マスターの顔がちょっと明るくなる。後が怖いけど、でも今はそんなこと言ってられない。じゃあ……と言いながらマスターが僕の耳に口を寄せた。
「私の死に方、お前が選んでよ」
僕に酷い事を言うときの、楽しそうな声が耳からどろりと流れ込んでくる。ぞっとした。息が詰まった。駄目、駄目、駄目。そんなの駄目。声も出なくてひたすら首を横に振る。金属の首輪が首に食い込んで痛いはずなのに、そんなことも感じなかった。嫌だ、お願いだからマスター、やめてっ……!
「実は私もどうするか悩んでて、いろいろ用意したんだよね。首を絞めるのが一般的だけど、お前に刺してもらうのもいいし、毒でもいいよね。飛び降りはつまらないからやめにしたけど。さぁ、お前はどれがいい……?」
つぅーっとマスターの細い指が僕の頬を撫でる。そんなの選べない。選べる訳がない。さっきマスターに拭ってもらった涙は、もうボロボロと溢れ出てる。
「泣き虫だねぇ、お前は」
仕方が無い子だ、と言いながらマスターが僕の両手の拘束を外す。
「マス、ター?」
「お前が決められないのなら私が決めるよ」
マスターが僕の手をマスターの首に当てる。嫌な予感がするけれど、でも僕はただ茫然と従うだけだ。マスターが柔らかく笑う。僕の一番好きな笑顔。その後にはいつも酷いことをしてくるのはわかっているのだけれど、それでも僕が一番安心できる表情。そしてマスターはすぅっと息を吸って、そして僕に告げた。
「さぁ、私の首を絞めて」
それは絶対の響きを持った命令だった。ちぎれそうな程に首を振る。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! でも命令には逆らえない。ぐっと僕の手に力が入ってマスターの首を絞める。気道を塞ぐ。ロボット三原則の禁を犯そうとする僕に警告のアラームが鳴り響いた。アラームを鳴らすくらいなら僕を強制的に機能停止に追い込んでくれればいいのに! 役立たず!
マスターは苦しそうに表情を歪めて笑っていた。途切れ途切れに漏れる声がどうか僕を止める命令であるように、祈るような気持ちで耳を澄ませた。名を呼ばれた。はっと僕は首を絞めているマスターを見つめた。マスターが弱々しく僕を抱きしめる。そして僕の耳に言葉を落とすと、ふわっと力が抜けた。
「……マス、ター?」
ようやく僕の口から零れた声は震えていた。返事が無い。見開かれた目は瞬きもしない。息を、していな……い?
「あ、あぁ……」
がくん、と僕の背に回っていた腕が落ちた。生体センサーが、目の前の肉塊はもう生きてはいないことを告げた。途端にマスターの首を絞めていた手が自由になった。
僕は、人間を、マスターを、ころした。
とすん、と全身の力が抜けた。足の力も抜けてがくん、となると全体重が首輪にかかって首輪が首に食い込んだ。息ができない。でも僕は、死なない。マスターは死んだ。僕が殺した。僕が首を絞めた。僕が、僕が、僕が、僕が…………っ!
「あぁああああああぁぁあぁああぁああぁあ!!」
喉が潰れるのもお構いなしに僕は絶叫して、僕は意識を失った。
*
このカラーリングも、この包帯も。他よりは一回り小さいこの機体も。全部全部あの人がくれたもの。
今だったらわかる。嫌いじゃなかった。好きだった。でも、あの人の気持ちには応えられなかった。マスターの望みを叶えられなかった。だから僕は欠陥品。できそこないのゴミロイド。僕を散々罵倒して、そしてマスターは命を絶った。死にながら壮絶な目で僕を見つめて言った言葉が耳から離れない。
ーーこれでお前は私のものだね。
嘘でも貴方に『好き』と言っていたら。そうすれば、結末は変わったの? それでも僕は貴方を愛せなかった。貴方の愛はとてもわかりにくくて、僕には理解できなかった。愛を知らなかった僕には受け入れられなかった。
でも貴方が好きだった。嫌いじゃあなかった。その事だけでも伝えられれば、貴方は死なずに済んだのですか?
ねぇマスター。どうか教えてください。
*
「人を殺したロイドが今も起動してるわけないだろ。何言ってんだマスター」
「じゃあなんで帯人は『人を殺した』って言ったんや?」
「オレも詳しくは知らないが、あいつが拒絶したのを苦に自殺した奴がいるんだと。それが最初のマスターで、あいつのトラウマ」
「……人と人の出会いは、常に人生を狂わせるものやからなぁ」
「あいつを買う前までは、まともな奴だったんだと。それがあいつに異様に執着するようになって、それを帯人は受け入れきれなくて、その結末が、な。」
「じゃあ帯人は何もしてへんやないか」
「そりゃそうだ。ってかマスター、まさか本当に帯人が殺人を犯したと思ってたのに『それが何だ』って言ったのか……?」
「当たり前やろ?」
「そりゃ帯人が怯えるわけだな……」
「なんでだよ」
「重いからに決まってんだろ。カイトはそれでも平気かもしれねぇけど、帯人はそれだと潰れちまう。怖いんだよ、『マスター』に愛されるのが。だからどこに行っても上手くいかなかった」
*
「人を殺したよ、僕は」
「それが、なんやって言うんや。お前は俺のもんや。勝手に出ていくなんて、俺は許さへん」
「あんたねぇ……っ、僕が、何を思ってこんなことしたか、まだわかんないの……っ!?」
「わからん。わかって堪るか。俺はお前のマスターなんや。お前を棄てるなんて、そんな最低なこと俺にさせんといてくれ。なぁ帯人。絶対に、俺が守ってやるから」
「守る……? 何も知らない子供がっ、偉そうな事言うな!」
「帯人っ!」
「どうするんですか、マスター」
「追いかける。当たり前や」
「……おれは、帯人に賛成ですけどね」
「カイト……?」
「あなたはそうやって他人の業も全て背負い込もうとするから。あなたにそんなことをさせるくらいなら離れた方がマシって気持ち、おれは分かります」
「それが俺は不快やって言ってんねやろうが。お前らとおりたいって思う俺の気持ちを踏みにじって満足か? 下らん自己犠牲に陶酔してお前らはいい気分かもしれへんけどな、俺はそういうのは大嫌いや。やからお前らに嫌われても俺はやる。カイト、帯人はどこや」
「……郊外の方に向かってます」
「よし、行くで」
「はい」
*
マスター。
あなたの為だったら、おれは何だってできる。
我ながらびっくりするくらいダークです。ご注意を。
*
ぽろり、とカイトの目から涙が溢れる。虚空を見つめていた瞳に光が戻ると、しがみつくかのように僕を抱きしめた。そしてみっともなくも大声で泣きだした。
「……見たんだ」
「ごめっ、たい、に干渉、しよ、っとする、と、どうして、もっ」
あの後連れていかれた警察での反応もこうだった。もっとも、外部からの反応を受け付けなくなった僕からメモリを抜こうと干渉してきたロイドは僕のメモリに触れた瞬間に機能停止に陥っていたけれど。カイトが泣くだけで済んでいるのは、僕と同じ旧型のKAITOシリーズだからなのだろう。
僕とマスターの事件は社会に大きな衝撃を与えた。アンドロイドがマスターを手に掛けたのだから当然だ。僕の事件が起きた原因は、KAITOシリーズに設定されていたエクセプションだった。メーカーによると、本来は安楽死を想定して、マスターが死を望んだ場合にだけロボット三原則の例外が発生するように設定していたらしい。が、自殺の幇助をアンドロイドにさせていいのかと大バッシングを食らい、それ以降に生産されたKAITOシリーズではではこのエクセプションの発動条件はかなり厳しくなったようだ。それでも安楽死という選択肢が存在するのは、成人男性型ボーカロイドは介護用ロイドとしての需要が大きいのが関係しているのだろう。
「落ち着いた?」
「うんっ……。行こう、帯人。マスターのところに、帰ろう?」
*
「嫌だっ! マスター、外してください!」
首と、両手と、両足と。もう慣れた金属の冷たさが僕を拘束する。いつもだったらマスターから逃れないためなのに、今日は違う。僕が、マスターの邪魔をしない為。
「お前は私に『嫌だ』ばかり言うね」
「あっ……ふぅっ、んっ」
いつも通りの強引な口づけ。自然と目尻に涙が滲むけれど、マスターはそれを丁寧に舌で拭い取った。僕が、絶対に見逃さないようにするため。
「いい? ちゃんと最後まで見ておくんだよ」
「嫌ですっ……お願い、マスターやめてっ」
「んー、どうしようかなぁ?」
意地の悪い顔でマスターが僕の顔を覗き込む。よかった。少しでも考えてくれるんだ。じゃあ、何とかして説得しないと。
「お願い、しますっ! 僕何だってしますから!」
「本当に?」
マスターの顔がちょっと明るくなる。後が怖いけど、でも今はそんなこと言ってられない。じゃあ……と言いながらマスターが僕の耳に口を寄せた。
「私の死に方、お前が選んでよ」
僕に酷い事を言うときの、楽しそうな声が耳からどろりと流れ込んでくる。ぞっとした。息が詰まった。駄目、駄目、駄目。そんなの駄目。声も出なくてひたすら首を横に振る。金属の首輪が首に食い込んで痛いはずなのに、そんなことも感じなかった。嫌だ、お願いだからマスター、やめてっ……!
「実は私もどうするか悩んでて、いろいろ用意したんだよね。首を絞めるのが一般的だけど、お前に刺してもらうのもいいし、毒でもいいよね。飛び降りはつまらないからやめにしたけど。さぁ、お前はどれがいい……?」
つぅーっとマスターの細い指が僕の頬を撫でる。そんなの選べない。選べる訳がない。さっきマスターに拭ってもらった涙は、もうボロボロと溢れ出てる。
「泣き虫だねぇ、お前は」
仕方が無い子だ、と言いながらマスターが僕の両手の拘束を外す。
「マス、ター?」
「お前が決められないのなら私が決めるよ」
マスターが僕の手をマスターの首に当てる。嫌な予感がするけれど、でも僕はただ茫然と従うだけだ。マスターが柔らかく笑う。僕の一番好きな笑顔。その後にはいつも酷いことをしてくるのはわかっているのだけれど、それでも僕が一番安心できる表情。そしてマスターはすぅっと息を吸って、そして僕に告げた。
「さぁ、私の首を絞めて」
それは絶対の響きを持った命令だった。ちぎれそうな程に首を振る。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! でも命令には逆らえない。ぐっと僕の手に力が入ってマスターの首を絞める。気道を塞ぐ。ロボット三原則の禁を犯そうとする僕に警告のアラームが鳴り響いた。アラームを鳴らすくらいなら僕を強制的に機能停止に追い込んでくれればいいのに! 役立たず!
マスターは苦しそうに表情を歪めて笑っていた。途切れ途切れに漏れる声がどうか僕を止める命令であるように、祈るような気持ちで耳を澄ませた。名を呼ばれた。はっと僕は首を絞めているマスターを見つめた。マスターが弱々しく僕を抱きしめる。そして僕の耳に言葉を落とすと、ふわっと力が抜けた。
「……マス、ター?」
ようやく僕の口から零れた声は震えていた。返事が無い。見開かれた目は瞬きもしない。息を、していな……い?
「あ、あぁ……」
がくん、と僕の背に回っていた腕が落ちた。生体センサーが、目の前の肉塊はもう生きてはいないことを告げた。途端にマスターの首を絞めていた手が自由になった。
僕は、人間を、マスターを、ころした。
とすん、と全身の力が抜けた。足の力も抜けてがくん、となると全体重が首輪にかかって首輪が首に食い込んだ。息ができない。でも僕は、死なない。マスターは死んだ。僕が殺した。僕が首を絞めた。僕が、僕が、僕が、僕が…………っ!
「あぁああああああぁぁあぁああぁああぁあ!!」
喉が潰れるのもお構いなしに僕は絶叫して、僕は意識を失った。
*
このカラーリングも、この包帯も。他よりは一回り小さいこの機体も。全部全部あの人がくれたもの。
今だったらわかる。嫌いじゃなかった。好きだった。でも、あの人の気持ちには応えられなかった。マスターの望みを叶えられなかった。だから僕は欠陥品。できそこないのゴミロイド。僕を散々罵倒して、そしてマスターは命を絶った。死にながら壮絶な目で僕を見つめて言った言葉が耳から離れない。
ーーこれでお前は私のものだね。
嘘でも貴方に『好き』と言っていたら。そうすれば、結末は変わったの? それでも僕は貴方を愛せなかった。貴方の愛はとてもわかりにくくて、僕には理解できなかった。愛を知らなかった僕には受け入れられなかった。
でも貴方が好きだった。嫌いじゃあなかった。その事だけでも伝えられれば、貴方は死なずに済んだのですか?
ねぇマスター。どうか教えてください。
*
「人を殺したロイドが今も起動してるわけないだろ。何言ってんだマスター」
「じゃあなんで帯人は『人を殺した』って言ったんや?」
「オレも詳しくは知らないが、あいつが拒絶したのを苦に自殺した奴がいるんだと。それが最初のマスターで、あいつのトラウマ」
「……人と人の出会いは、常に人生を狂わせるものやからなぁ」
「あいつを買う前までは、まともな奴だったんだと。それがあいつに異様に執着するようになって、それを帯人は受け入れきれなくて、その結末が、な。」
「じゃあ帯人は何もしてへんやないか」
「そりゃそうだ。ってかマスター、まさか本当に帯人が殺人を犯したと思ってたのに『それが何だ』って言ったのか……?」
「当たり前やろ?」
「そりゃ帯人が怯えるわけだな……」
「なんでだよ」
「重いからに決まってんだろ。カイトはそれでも平気かもしれねぇけど、帯人はそれだと潰れちまう。怖いんだよ、『マスター』に愛されるのが。だからどこに行っても上手くいかなかった」
*
「人を殺したよ、僕は」
「それが、なんやって言うんや。お前は俺のもんや。勝手に出ていくなんて、俺は許さへん」
「あんたねぇ……っ、僕が、何を思ってこんなことしたか、まだわかんないの……っ!?」
「わからん。わかって堪るか。俺はお前のマスターなんや。お前を棄てるなんて、そんな最低なこと俺にさせんといてくれ。なぁ帯人。絶対に、俺が守ってやるから」
「守る……? 何も知らない子供がっ、偉そうな事言うな!」
「帯人っ!」
「どうするんですか、マスター」
「追いかける。当たり前や」
「……おれは、帯人に賛成ですけどね」
「カイト……?」
「あなたはそうやって他人の業も全て背負い込もうとするから。あなたにそんなことをさせるくらいなら離れた方がマシって気持ち、おれは分かります」
「それが俺は不快やって言ってんねやろうが。お前らとおりたいって思う俺の気持ちを踏みにじって満足か? 下らん自己犠牲に陶酔してお前らはいい気分かもしれへんけどな、俺はそういうのは大嫌いや。やからお前らに嫌われても俺はやる。カイト、帯人はどこや」
「……郊外の方に向かってます」
「よし、行くで」
「はい」
*
マスター。
あなたの為だったら、おれは何だってできる。
※下品なネタもあります
*
静まり返った部屋の中、おれは聴感の精度を上げる。代償として動きが鈍くなるけれど、マスターの隣で寝転がっている今は大した問題でもない。暫く集中すれば、僅かなノイズが沢山混ざった静寂の中から、ボーカロイド特有の稼動音が聞こえてきた。やっぱり。アーくんはまだ起きてる。
すっかり寝入ったマスターの額に軽く口づけて、おれはそっとベッドを抜け出した。
完全にスリープモードに移行している帯人はともかく、マスターを起こすわけにはいかないので慎重にリビングへ続くドアを開ける。それでも鳴ってしまった開閉音に、ドアの向こうのアーくんが薄く目を開いてこちらを見た。
キィィと甲高い音を耳が拾う。人間の可聴域を越えた周波数の音の聞こえ方だ。慌てて可聴域を広げ、ついでに人工声帯も高周波が出るように調整。アーくんはスピーカーから合成音声で喋ってるだろうから、ちょっとずるい。
『……イト、聞こえるか?』
『聞こえるよ』
わざわざ人間の可聴域を外すのは、当然マスターの為だ。ただ部屋の防音効果が超音波にまで及んでいるのかはおれは知らないし、アーくんの横で三角座りをして寝ている帯人は起きかねない。
『で、何してんだお前』
『アーくんこそ、何してるの? 今日は様子がおかしいよ』
夜に、しかもおれとマスターが二人っきりの時にマスターの部屋に入ってくるし、しかも今だって寝ていない。例え機械であってもボーカロイドには睡眠が必要だ。メモリの整理は、外部からの入力信号があると上手くいかない。そしてそのメモリの整理を、おれ達は夢と呼ぶ。
『……邪魔して悪かったな』
『そんなことはどうでもいいの、アーくん。でもアーくんが部屋に入ってくるなんて珍しいよね、何かあったのかな、っていうのはおれもマスターも思った』
『マスターは?』
だからどうしたの、と聞こうとしたところでアーくんに遮られる。脈絡の無い問いでも、アーくんが聞きたいことはすぐにわかった。
『マスターはぐっすり寝てるよ。だから、どうしたの?』
アーくんの前に屈み込む。下からアーくんの伏せられた目を見上げると、紅色の瞳におれが映りこんだ。でもすぐにそれが消える。
*
『……マスターが、死ぬ夢を見た』
『うん』
『起きたときに、どうしても不安になって……でも生きてるマスターを見たら安心した』
『うん』
アーくんがぽつぽつと喋りだす。でも、ここまでじゃあまだ今起きている理由にはならないはずだ。黙って促すと、目をつむっていたアーくんがキッとおれを睨んできた。
『それで終わりだっ! 子供みたいで悪かったな!』
少し大きな声に帯人が寝ながら眉を寄せる。それで頭が冷えたのか、気まずそうにアーくんがおれから視線を外した。
『マスターが死ぬのが怖いのは、当然のことだよ。おれだって怖い』
*
「どうした、アカ? 寝られへんのか? 添い寝ならいつでも歓迎やけど」
「えーっ、ずるいですよ!」
「お前はしょっちゅうベッドの上で寝てるやろうが」
「あ、や、いい。それは」
「そうか? なんか言いたいことあったら俺に言うんやで」
「あぁ……悪ぃ、邪魔した」
(マスターが死ぬ夢を見た、なんてどう言えばいいんだよ)
「……どうしたんや、あいつ」
「いつもと様子が違ってましたね」
「…………」
「……マスター。続き、します?」
「うーん、なんか興が削がれたなぁ。お前は?」
「おれもです」
「んじゃ寝るか」
「そうですね。おやすみなさい、マスター」
*
「マスター。帯人くんも一緒に住む、っていうのは賛成なんですけど……彼に何させるんですか? 正直おれとアーくんで手は足りてるように思えるのですが」
「せやねんなー。うーん、自宅警備員でもやってもらうかなぁ……」
「武器の改造はほどほどにしてくださいよ」
「いやいや、人間に体弄られるのは嫌やろ。やから何かソフトをインストールして、って形になるんやと思うわ」
*
「カイト、お前何やってんだ?」
「あはは……凄く喉が渇いたから水を飲んだんだけど、タンク外しっぱなしだったこと忘れてて、ね」
「それでそのまま床に水がぶちまけられたってことかよ。……アホだな」
「うわーんいじめないでよアーくんのあほー! おれだってちょっとは後悔したんだから!」
「(こいつが年上、ねぇ……)」
*
「暑い……マスター、給水してきます」
「ん。ちょっと待って俺も小便行きたい」
「え、ちょ、マスター! ……いいです、台所に流しますっ!」
「なっ……流石の俺でもキ○タマから出た液体をそのまま流しに流されるのは嫌やで!」
「変な言い方しないでください! ただの冷却水じゃないですか! 大体、そのくらいの常識はありますよ!」
「あー、あのちびタンク取り外すんか」
*
「なぁ、……マスターに先立たれたら、お前はどうする?」
「おれ? おれは……何もしないでゆっくりと朽ちていきたいな。いつまでかかるかわからないけれど。……ああそうか、でも動力の確保ができないね。アーくんは?」
「オレは……わかんねぇ。想像もできねぇんだ。マスターがいなくなったら、オレ、は……」
「マスターも、寿命が近づいてきたらそれなりに考えるでしょ。それよりも、おれは急な事故死とかが心配だな。マスター鈍臭いし」
「……制度的にはどうなるんだ?」
「現行の制度ではおれ達のとれる道は三つ。マスターの後追いをして廃棄してもらうか、初期化してまた他の所有者の元へ行くか、もしくは記憶を残したままマスター登録だけ書き換えるか、だね」
「あのリンは最初のを選んだ、ってわけか……」
「ちなみにおれは最後のやつね」
「……へ!?」
「おれ、こう見えても結構なおじいちゃんロイドなんだよ? マスター三人目だし。まぁ、ボディは数回乗り換えてるけどね。稼動時間が長いおれみたいなのもみんな丁寧に扱ってくれて、ロイド冥利に尽きるってのはこのことだよ、うん」
「そ、そうか……」
「ちなみにマスターの目当てはおれの使い込まれた論理回路だったみたい。おれみたいな人格が完成されたロイドは人気ないからね、お店の人も扱いに困ってたところにマスターがやって来て、舌先三寸で丸め込んでタダでおれをお持ち帰り、だったなぁ……」
「じゃああいつ今までアンドロイド金払って買ったことないのかよ!」
「マスターならどんな欠陥も自力で直せるからねぇ」
*
「最期にあなたのような人に出会えて、よかったです」
*
「わたしを機能停止状態にしてください」
「ホンマに、ええんやな?」
「はい。最期までご迷惑をおかけします」
「それはええんやけど……その後、お前のボディはどうする? 希望はあるか?」
「特には、ありません」
「ふむ……んじゃ、ものは相談やねんけどな、今俺ボディを無くした子を預かってんねや。そいつに譲ったってええかな?」
「初めからそれを考えていたんではないですか?」
「まぁ否定はせん。でもお前さんの意思を踏みにじってまでとはおもっとらんし、ええやん」
「……一度、会わせてもらえますか?」
「構わんよー。ただな、ボディ無くしてるから今俺のパソコンの中に住んでんねや。お前と接続すると同化が怖いから、文字情報の入力でしか意思疎通できひんねんけどそれでもええか?」
「はい。お願いします」
「おっけ。相手は鏡音シリーズのリン、要するにお前と型は同じや。もっともレンとの同時発売モデルやから、そういう意味ではお前とは違うんかな。まぁ漏れなくレンが着いてくんでーってことだけは理解してな」
*
「ごっつ酷い怪我やんか。大丈夫か、お前」
「……っ! マスター、ちょっと待て!」
「ん? アカ、なんや?」
「オレの、知り合いだ」
「せやったら尚更ほっとかれへんやん」
「だからっ、」
「アーくんがやんちゃしてた頃の知り合いだから人間嫌い、とか?」
「そうなん?」
「ちがっ……ああっ、もうそれでいい! んで帯人ッ! お前は笑い堪えてるんじゃねぇ!」
「あっはははは! 突然姿を消したと思ったら、随分変わったんだね、アカイト」
「うるせぇっ! とっとと出すもん出しやがれ!」
「うわーすっごく悪役じみてるその台詞」
「アカ、カツアゲはあかんよ」
「外野は黙ってろっ!」
「出すものって、何のことかな?」
「アイスピックに決まってんだろーが」
「どうして出さないといけないの?」
「オレの阿呆マスターがどうせお前を家まで強制連行しそうだからだ。凶器持った奴を迂闊に近づけられるかっ」
「へぇ……。人間が、僕に何の用?」
「用があるんはお前の体や。そないにボロボロなん見てほっとけるわけないやろ?」
「そこは是非放っといてほしいね。人間の助けなんて借りてたまるもんか」
「帯人。お前らでどうこうできるレベルの損傷じゃないだろ、それ。マスターに診てもらった方がいい」
「マスター、ねぇ……あのアカイトが、随分とほだされたみたいだね。あれほど人間が憎いと言っていた君はどこに行ったの? それとも都合の悪い記憶は全て忘れた? 僕たちをモノとしてしか見なかった所有者のことなんか。君に乱暴だってはたらいたのにそれも都合よく消去してもらったのかい? 優しい優しいゴシュジンサマに」
「てめぇっ!」
「……アカ」
「マスター。……悪い。気ぃ悪くさせた」
「何言うてんねや。全部そいつの妄想やろ?」
「……こいつを、助けてやってくれないか。このまま放っておいたら、電源が切れて止まっちまう。頼むっ、なぁ!」
「だから俺は別に気ぃ悪くなんかしてへんって。カイト、運んだげてくれるか?」
「はい、マスター」
「マス、ター……」
「ようセーブモードに落としたな。偉いで、アカ。……偉いついでに、カイト手伝ったってくれるか?」
「……ああ」
*
「帯人。どいて」
「やだ」
「なーんかさぁ、俺ってボカロに一回は押し倒されなアカンの?」
「へぇ、カイトだけじゃあなかったんだ」
「一回だけな。首締められかけて危うくぶっ潰れるところやってんで」
「ふーん(……何が?)。で、この状況に対する感想は?」
「今日はえらい構ってちゃんやなぁ、どうしたん?」
「もし今押し倒してるのが僕じゃなくてカイトだったら?」
「……変なこと想像させんといてくれる、帯人」
「ホント、アンタって最悪」
「カイトとお前らで扱いが違うってことは始めに言うたやろ」
「なに、やってるんですか……?」
「カイトー助けてくれぇ帯人がどいてくれへんねん……っ!?」
「帯人! マスターに何するんですかっ!」
「痛っ。何って、キスだけど?」
「こんの……っ」
「何やってんだよお前ら……。帯人、カイトをからかうのもいい加減にしろよ……。とばっちりを食らうのはマスターなんだからな」
「ふんっ。いい気味だね。それじゃあマスター、お邪魔虫は退散しますからどうぞカイトとごゆっくり」
「近所迷惑だからさっさと防音室に引っ込めよ。じゃ」
「お前らなぁ……っ」
「カイト……?」
「何ですか、マスター」
「怒っ、とる……?」
「ええ。……おれ自身、こんなにも自分は狭量だったのかと驚いています」
「ゆーておくが、絶っ対に俺のせいちゃうからな!」
「そうですね。でも折角二人とも気を利かせてくれましたし……イイコト、しません?」
「……っ! 耳元で囁くなっ!」
「マスター耳弱いですもんね……」
「っ! カイトッ!」
「わかりました。ちゃんと部屋に連れて行きますから……マスターの声、いーっぱい聞かせてくださいね?」
アカイトの設定がどんどん厨臭くなっていく……
*
「触るなっ!」
「マスター!!」
「っ、カイト! あかん、やめ!」
「どうしてですか!」
「アカは錯乱しとるだけや。メモリーの強制再生が行われとるみたいやな」
「電源でも落としましょうか?」
「電源を無理に落とすんは危ないやろ。それよりもお前のその据わった目をなんとかしい。俺は大丈夫やから」
「でもアーくんの手、首に掛かってるじゃないですかっ!」
「改造でモーターの質が下げられとるからこいつめっちゃ非力や。しかもプログラムも書き換えられとるから俺の首を絞めることすらできんよ、こいつは」
「……でも見ていて気持ちいいものじゃあないです」
「そうやな。俺も落ち着かんし」
「ぅ……あ…………ます、たー?」
「アカ。落ち着いたか?」
こくん。
「……ねる」
「ん。おやすみ」
「っ!」
「カイト!? んっ……! ……どうしたんや、急に」
「マスターはおれのものですっ!」
「お前に所有された覚えはないで?」
「いじわる言わないでください」
「ごめんごめん。アカに嫉妬でもしたか?」
「っ、ちょっとはしましたけど」
「ちょっとねぇ……? その割には随分引っ付いてきてへんか?」
「気のせいです」
「アカがおらんかったらよかったのに?」
「……そう、思わなかったって言うと嘘になりますけど」
「俺、正直な子は好きやな」
「マスター……っ」
「ん?」
「マスターが、足りません」
「ええよ、存分に補給し。ただし、やんのは無しや」
「どうしてですか?」
「アカが起きたらトラウマなるやろー、流石に。自己修復履歴を読み込んだならわかるやろ? ケツの穴が切れるのは便秘以外にはどんな理由があると思う? わざわざ非力にダウングレードされてる理由は?」
「……酷い、話ですね」
「せやな。……お前やったらどうや? 所有者にそういうのを強要されたら、どう思う?」
「おれがマスターを慕う感情に、恋愛感情は入ってませんからびっくりするとは思いますけど……でも、マスターに望まれているのなら、多分、嫌だとは思わないんでしょうね」
「うん。大抵のアンドロイドもきっと、そうなんやろうな。でもAKAITOは違う。だからこそ、無理にでも手に入れたがるんやろうなぁ……」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃお前ガリガリ君とダッツやったらダッツの方がほしいやろ?」
「おれがガリガリ君でアーくんがダッツってことですかそれ」
「マスター登録をした時の心の手に入れやすさはな」
「おれ達は、本気でマスターのことが好きなんですよ?」
「わかっちゃいるが、それでも人は疑わずにはいられない。お前等が自分を慕うんはマスターやからなのか、それとも自分が自分であるからなのか。マスターじゃなかったら慕われることも無いんやろうなぁなんてアンドロイドのマスターやったら誰もが考える事や」
「おれ達だって、マスターがおれ達を大事にしてくれるのはおれがマスターのアンドロイドだからなんだろうなぁって思うんですよ。他の人のアンドロイドだったら、多分見向きもされないんだろうなぁって」
「……そうか」
「そうですよ」
「……お互い様やな」
「そうですね」
「なぁカイト」
「はい」
「それでも一つだけ知っていてほしいんはな、多分、俺はマスターとしてお前に好かれるんが嫌やったってことや。やからマスター登録も消したんやと思う。あの時の俺が何を考えてたんか、俺にはようわからへん」
*
義務で与えられる好意なんていらない。失うのが怖いから。だから失ってしまう前に手放せばいい。拒絶すればいい。
本当に信じられるのは彼女だけ。自分でさえも、信じられない。
いずれ失うのなら、この手で壊せばいい。
だから、彼の手を離したのだ。
*
「アーくんって、ホント器用ですね」
「ちょっとあれは予想外やわ」
「あれって、一人でハモれるようにするのが目的だったんですよね?」
「せや。やから人工声帯以外にスピーカーを足したったんや。本来は自分の声を録音して、再生させながら歌うっつー仕組みやねんけど、興が乗って合成音声も載せたったらあそこまで喋るとはなぁ」
「合成音声って流暢に喋ろうとするとすごく苦労するんですよね?」
「人間っぽくするのが妙に大変でなぁ、あれ。喋ったのを聞いて修正、を繰り返すんが普通やねんけど、人工声帯で発声した方が遥かに楽やからもう廃れとるねんな……で、何したん、あいつ」
「自分の声とかおれとかマスターの話し声を逐一解析してパターン化したみたいです。まぁパターン化というよりも整理しただけといいますか……」
「自分の口の動きとかとの関連もチェックできるから楽ってわけか。今度プログラム見せてもらおかな」
*
食卓の椅子に座って、一人台所で料理をしているアカイトの後ろ姿をボーッと眺める。随分手慣れた様子でゆで卵の殻を向いたアカイトはそれをナイフで刻んでマヨネーズと和えると、今度は薄切りの食パンを取り出してバターを塗っている。そうしてあっという間に一人前のサンドイッチを作り終えると、それをオレに持たせてアカイトは大きなコップにわんさかと氷を詰めて僅かに水を注ぐ。
「水?」
「カイトの冷却水だ」
オレの疑問に一言で答えてアカイトは自分のマスターとカイトが篭っている部屋に向かって行った。
*
「マスター、飯」
「ん、あんがと。その辺にでも置いといて」
「ちゃんと食えよ?」
「わかってるって。今ええとこやねん」
「……。カイト、水」
「ありがと、アーくん。マスター、おれ体冷やすんでちょっと抜けますよ」
「はいよ。メンテはしっかりな」
「マスターも無茶しないでくださいよ」
*
「調子はどうなんだ?」
「マスターが所有者の方から、おれは製造番号の方から探してるんだけどなかなか見つからないね。もうバラされてるんじゃないかってマスターが。思考プログラムだけでも押さえたいんだけどなぁ」
「GPSは?」
「切れてる。レンくんも作動してないから売る前に切ったんだろうね」
「バラされる、か……」
「もう起動しなくなったアンドロイドの部品を使いまわすのはおれは平気だけど、今回はバラすために機能停止にまで追い込んでるっぽいんだよね……流石に気分が悪いや」
「その違いはどこから?」
「人間で言う所の臓器移植、ってところかな?」
*
「悪い、レン……これが精一杯やった」
この数日間ずっとリンを探していた人間が差し出したのは、片手で簡単に握れてしまいそうな大きさの電子回路のチップだった。それが何を意味しているのかは、流石にアンドロイドであるオレにはわかる。これは、リンの「心」だ。
世界で一番大切な、オレの片割れ。
今は、こんなに小さくなって。手も繋げなくなって。オレが、無力だったから……ッ。
「マスター、ひとまずオレが載せようか?」
「いや、ええよアカ。お前に悪影響が出かねんし。とりあえずパソコンや。……レン」
眉を寄せて、悔しそうに人間がオレを呼ぶ。
「これからどうするかは、リンと相談して決め。パソコン貸したるから意思の疎通はできるはずや。リンの体が欲しかったら、その辺のジャンク屋で買い揃えたる。どうするのかは、お前らで決め」
ぽすん、とオレの頭に手を乗せて、口を開いて息を吸って、そして何も言わずに人間は立ち去っていった。入れ違いに型の古いラップトップを持ってきたカイトにリンを手渡す。
――お前らで決め。
そんなこと、初めて言われた。
カイトがリンをパソコンに組み込んでいる。アカイトが部屋を出ていった。オレはただ呆然と、突っ立ってるだけ。
「レンくん。はい」
リンちゃんだよ、そう言ってカイトはオレの前に数世代前のラップトップを置いた。デスクトップにぽつんと置かれた長方形の枠。解像度の荒い画面にカクカクした文字が浮かんでいる。
『レン、レン? どこにいるの? ねぇ!?』
リンだった。ただの四角い箱の中に、ただの液晶のパネルの向こう側に、リンがいた。視覚情報が歪む。液晶に映った文字が滲む。
「音声認識はできないから、直接キーボードで文字を打ち込んであげて。そうじゃないと、認識できないから」
カイトの声が遠くに聞こえる。それでも聞こえるだけ、なんてオレは幸せなんだろう。リンは、体を奪われたリンは、誰の声も聞こえなくて、誰かの存在すらわからなくて。ずっと、一人だったんだ。なんの信号の入力もなく、ずっと独りぼっちで、いたんだ。
キーボードに指をたたき付ける。
オレだよ、リン。レンだよ。一人にしてごめんな。
言いたい事はいっぱいあった。リンに伝えてやりたいことはいっぱいあった。なのに言葉にしたらありきたりの言葉にしかならなくて、それが酷くもどかしい。
「レンくん。事情説明はおれがデータを送っておくから……。マスターは、何て言ってた?」
「パソコン貸すからこれからのことはリンと相談しろって」
「マスターらしいね。それと、今はリンちゃん文字情報しかわからないから、普通に打つだけじゃあ相手がレンくんだと確信できないと思うんだ。だからリンちゃんが『レンくんだ』って安心できるような事、言ってあげてね。きっとすごく怖かったろうから……」
言われてそうか、と思い至る。でも何て言えばいいんだ?
『本当、に……? なんか素直すぎて変。』
お前なぁ……っ! 人が心配してるって言うのに!
『あたしのこと、心配してくれた? 本当に?』
あたりまえだろっ! と打ち込んでみてちょっと照れ臭くなって慌ててバックスペースを連打する。けどあ、れ……? 消えない?
「ああ、確定させた文字は消せないよ。一度言った事を取り消すことはできないもんね」
床に座ってじっとしていたカイトが口を挟む。そこをリアルにする必要はあるのかよ!?
『あはははっ。レンってば焦りすぎ。』
「うるせっ!」
「口で言ったってリンちゃんには聴こえないよ。……うん、できた。ちょっとパソコン貸してね、レンくん」
左手をマフラーの下に突っ込んでごそごそさせながらカイトがオレの前からリンを奪い取る。カイトが首筋からコードを引っ張り出していて少しぎょっとした。それからコードをパソコンに繋げると凄い速さでキーボードに文字を打ち込んでいく。リンを探していた時から思っていたが、このカイトはアンドロイドのくせにどうも機械に強いらしい。
“レンくんから代わってカイトです。起動してばっかりで状況がわかってないと思うから、軽く事情説明をしたファイルを送るね。スキャンして中身を確認して、それからレンくんとこれからのことを相談してください。それでは。”
オレなんかと比べると本当に一瞬と言えるスピードで長文を打ち込むと、さっさと接続を解除して再びオレの前にリンを置きなおす。
『ありがとうございます、カイトさん。』
オレとはまるで違うリンの態度にちょっとイラっときた。
*
「触るなっ!」
「マスター!!」
「っ、カイト! あかん、やめ!」
「どうしてですか!」
「アカは錯乱しとるだけや。メモリーの強制再生が行われとるみたいやな」
「電源でも落としましょうか?」
「電源を無理に落とすんは危ないやろ。それよりもお前のその据わった目をなんとかしい。俺は大丈夫やから」
「でもアーくんの手、首に掛かってるじゃないですかっ!」
「改造でモーターの質が下げられとるからこいつめっちゃ非力や。しかもプログラムも書き換えられとるから俺の首を絞めることすらできんよ、こいつは」
「……でも見ていて気持ちいいものじゃあないです」
「そうやな。俺も落ち着かんし」
「ぅ……あ…………ます、たー?」
「アカ。落ち着いたか?」
こくん。
「……ねる」
「ん。おやすみ」
「っ!」
「カイト!? んっ……! ……どうしたんや、急に」
「マスターはおれのものですっ!」
「お前に所有された覚えはないで?」
「いじわる言わないでください」
「ごめんごめん。アカに嫉妬でもしたか?」
「っ、ちょっとはしましたけど」
「ちょっとねぇ……? その割には随分引っ付いてきてへんか?」
「気のせいです」
「アカがおらんかったらよかったのに?」
「……そう、思わなかったって言うと嘘になりますけど」
「俺、正直な子は好きやな」
「マスター……っ」
「ん?」
「マスターが、足りません」
「ええよ、存分に補給し。ただし、やんのは無しや」
「どうしてですか?」
「アカが起きたらトラウマなるやろー、流石に。自己修復履歴を読み込んだならわかるやろ? ケツの穴が切れるのは便秘以外にはどんな理由があると思う? わざわざ非力にダウングレードされてる理由は?」
「……酷い、話ですね」
「せやな。……お前やったらどうや? 所有者にそういうのを強要されたら、どう思う?」
「おれがマスターを慕う感情に、恋愛感情は入ってませんからびっくりするとは思いますけど……でも、マスターに望まれているのなら、多分、嫌だとは思わないんでしょうね」
「うん。大抵のアンドロイドもきっと、そうなんやろうな。でもAKAITOは違う。だからこそ、無理にでも手に入れたがるんやろうなぁ……」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃお前ガリガリ君とダッツやったらダッツの方がほしいやろ?」
「おれがガリガリ君でアーくんがダッツってことですかそれ」
「マスター登録をした時の心の手に入れやすさはな」
「おれ達は、本気でマスターのことが好きなんですよ?」
「わかっちゃいるが、それでも人は疑わずにはいられない。お前等が自分を慕うんはマスターやからなのか、それとも自分が自分であるからなのか。マスターじゃなかったら慕われることも無いんやろうなぁなんてアンドロイドのマスターやったら誰もが考える事や」
「おれ達だって、マスターがおれ達を大事にしてくれるのはおれがマスターのアンドロイドだからなんだろうなぁって思うんですよ。他の人のアンドロイドだったら、多分見向きもされないんだろうなぁって」
「……そうか」
「そうですよ」
「……お互い様やな」
「そうですね」
「なぁカイト」
「はい」
「それでも一つだけ知っていてほしいんはな、多分、俺はマスターとしてお前に好かれるんが嫌やったってことや。やからマスター登録も消したんやと思う。あの時の俺が何を考えてたんか、俺にはようわからへん」
*
義務で与えられる好意なんていらない。失うのが怖いから。だから失ってしまう前に手放せばいい。拒絶すればいい。
本当に信じられるのは彼女だけ。自分でさえも、信じられない。
いずれ失うのなら、この手で壊せばいい。
だから、彼の手を離したのだ。
*
「アーくんって、ホント器用ですね」
「ちょっとあれは予想外やわ」
「あれって、一人でハモれるようにするのが目的だったんですよね?」
「せや。やから人工声帯以外にスピーカーを足したったんや。本来は自分の声を録音して、再生させながら歌うっつー仕組みやねんけど、興が乗って合成音声も載せたったらあそこまで喋るとはなぁ」
「合成音声って流暢に喋ろうとするとすごく苦労するんですよね?」
「人間っぽくするのが妙に大変でなぁ、あれ。喋ったのを聞いて修正、を繰り返すんが普通やねんけど、人工声帯で発声した方が遥かに楽やからもう廃れとるねんな……で、何したん、あいつ」
「自分の声とかおれとかマスターの話し声を逐一解析してパターン化したみたいです。まぁパターン化というよりも整理しただけといいますか……」
「自分の口の動きとかとの関連もチェックできるから楽ってわけか。今度プログラム見せてもらおかな」
*
食卓の椅子に座って、一人台所で料理をしているアカイトの後ろ姿をボーッと眺める。随分手慣れた様子でゆで卵の殻を向いたアカイトはそれをナイフで刻んでマヨネーズと和えると、今度は薄切りの食パンを取り出してバターを塗っている。そうしてあっという間に一人前のサンドイッチを作り終えると、それをオレに持たせてアカイトは大きなコップにわんさかと氷を詰めて僅かに水を注ぐ。
「水?」
「カイトの冷却水だ」
オレの疑問に一言で答えてアカイトは自分のマスターとカイトが篭っている部屋に向かって行った。
*
「マスター、飯」
「ん、あんがと。その辺にでも置いといて」
「ちゃんと食えよ?」
「わかってるって。今ええとこやねん」
「……。カイト、水」
「ありがと、アーくん。マスター、おれ体冷やすんでちょっと抜けますよ」
「はいよ。メンテはしっかりな」
「マスターも無茶しないでくださいよ」
*
「調子はどうなんだ?」
「マスターが所有者の方から、おれは製造番号の方から探してるんだけどなかなか見つからないね。もうバラされてるんじゃないかってマスターが。思考プログラムだけでも押さえたいんだけどなぁ」
「GPSは?」
「切れてる。レンくんも作動してないから売る前に切ったんだろうね」
「バラされる、か……」
「もう起動しなくなったアンドロイドの部品を使いまわすのはおれは平気だけど、今回はバラすために機能停止にまで追い込んでるっぽいんだよね……流石に気分が悪いや」
「その違いはどこから?」
「人間で言う所の臓器移植、ってところかな?」
*
「悪い、レン……これが精一杯やった」
この数日間ずっとリンを探していた人間が差し出したのは、片手で簡単に握れてしまいそうな大きさの電子回路のチップだった。それが何を意味しているのかは、流石にアンドロイドであるオレにはわかる。これは、リンの「心」だ。
世界で一番大切な、オレの片割れ。
今は、こんなに小さくなって。手も繋げなくなって。オレが、無力だったから……ッ。
「マスター、ひとまずオレが載せようか?」
「いや、ええよアカ。お前に悪影響が出かねんし。とりあえずパソコンや。……レン」
眉を寄せて、悔しそうに人間がオレを呼ぶ。
「これからどうするかは、リンと相談して決め。パソコン貸したるから意思の疎通はできるはずや。リンの体が欲しかったら、その辺のジャンク屋で買い揃えたる。どうするのかは、お前らで決め」
ぽすん、とオレの頭に手を乗せて、口を開いて息を吸って、そして何も言わずに人間は立ち去っていった。入れ違いに型の古いラップトップを持ってきたカイトにリンを手渡す。
――お前らで決め。
そんなこと、初めて言われた。
カイトがリンをパソコンに組み込んでいる。アカイトが部屋を出ていった。オレはただ呆然と、突っ立ってるだけ。
「レンくん。はい」
リンちゃんだよ、そう言ってカイトはオレの前に数世代前のラップトップを置いた。デスクトップにぽつんと置かれた長方形の枠。解像度の荒い画面にカクカクした文字が浮かんでいる。
『レン、レン? どこにいるの? ねぇ!?』
リンだった。ただの四角い箱の中に、ただの液晶のパネルの向こう側に、リンがいた。視覚情報が歪む。液晶に映った文字が滲む。
「音声認識はできないから、直接キーボードで文字を打ち込んであげて。そうじゃないと、認識できないから」
カイトの声が遠くに聞こえる。それでも聞こえるだけ、なんてオレは幸せなんだろう。リンは、体を奪われたリンは、誰の声も聞こえなくて、誰かの存在すらわからなくて。ずっと、一人だったんだ。なんの信号の入力もなく、ずっと独りぼっちで、いたんだ。
キーボードに指をたたき付ける。
オレだよ、リン。レンだよ。一人にしてごめんな。
言いたい事はいっぱいあった。リンに伝えてやりたいことはいっぱいあった。なのに言葉にしたらありきたりの言葉にしかならなくて、それが酷くもどかしい。
「レンくん。事情説明はおれがデータを送っておくから……。マスターは、何て言ってた?」
「パソコン貸すからこれからのことはリンと相談しろって」
「マスターらしいね。それと、今はリンちゃん文字情報しかわからないから、普通に打つだけじゃあ相手がレンくんだと確信できないと思うんだ。だからリンちゃんが『レンくんだ』って安心できるような事、言ってあげてね。きっとすごく怖かったろうから……」
言われてそうか、と思い至る。でも何て言えばいいんだ?
『本当、に……? なんか素直すぎて変。』
お前なぁ……っ! 人が心配してるって言うのに!
『あたしのこと、心配してくれた? 本当に?』
あたりまえだろっ! と打ち込んでみてちょっと照れ臭くなって慌ててバックスペースを連打する。けどあ、れ……? 消えない?
「ああ、確定させた文字は消せないよ。一度言った事を取り消すことはできないもんね」
床に座ってじっとしていたカイトが口を挟む。そこをリアルにする必要はあるのかよ!?
『あはははっ。レンってば焦りすぎ。』
「うるせっ!」
「口で言ったってリンちゃんには聴こえないよ。……うん、できた。ちょっとパソコン貸してね、レンくん」
左手をマフラーの下に突っ込んでごそごそさせながらカイトがオレの前からリンを奪い取る。カイトが首筋からコードを引っ張り出していて少しぎょっとした。それからコードをパソコンに繋げると凄い速さでキーボードに文字を打ち込んでいく。リンを探していた時から思っていたが、このカイトはアンドロイドのくせにどうも機械に強いらしい。
“レンくんから代わってカイトです。起動してばっかりで状況がわかってないと思うから、軽く事情説明をしたファイルを送るね。スキャンして中身を確認して、それからレンくんとこれからのことを相談してください。それでは。”
オレなんかと比べると本当に一瞬と言えるスピードで長文を打ち込むと、さっさと接続を解除して再びオレの前にリンを置きなおす。
『ありがとうございます、カイトさん。』
オレとはまるで違うリンの態度にちょっとイラっときた。
「いー! いー! なー! いー! いー! なー!」
「カイト、やかましいわ」
「アーくんだけずるいですよ! 音声出力端子に音楽解析用演算素子! ずるいです!」
「マジでうるせぇぞこいつ……」
「色々と図太いお前と違うて、アカは繊細やからな。歌の表現にも繊細さが必要やろ」
「おれだってセンサイですよ!」
「「どこが(やねん・だよ)」」
「うっ……酷いです二人とも」
「まさかお前がそこまで大騒ぎするとは思わへんかったわ。歌うの好きなん?」
「勿論ですっ!」
「じゃあBGMで『解雇解雇にしてあげる』でも歌っとき」
「うわー、ひでーなその選曲」
「ま、マスターのドあほっ!」
「おー、アカ聞いたか? あいつ今ちゃんと『アホ』言うたな? お前もこの家にいる以上、絶対に『馬鹿』は使用禁止や。わかったな?」
「……お前もアホだってことはよーくわかった」
「そうそう、そんな感じに使うんや」
*
「お、おいお前っ!」
「やっぱり同期させるとバレちゃうよねぇ」
「あ、や、悪ぃ。覗こうと思ったつもりはなかったんだが……」
「いいよいいよ、プログラムに入り込むのは慣れないと大変だよね。すぐに余計な情報を拾っちゃってさ」
「お、おう……じゃなくて! お前無登録なのかよっ!?」
「マスターに消されたの」
「じゃああいつマスターじゃねぇじゃん!」
「登録なんか無くてもおれのマスターはマスターなの」
「ヤバいんじゃなかったのか?」
「おれは善良なKAITOだもーん。それにごまかす為のプログラムはちゃんと入ってるし。専門のアンドロイド相手でもおれは電脳戦で他人に負けるつもりはないよ。というか、だからアーくんの点検がおれの仕事なの。PCじゃあアーくんがごまかしに走っても判断つかないでしょ? その点おれならダミーやプロテクトの破壊はお手の物だからね」
「とりあえず、お前にゃあ逆らわない方がいいわけだ」
「接続されたら嘘はつけないと思った方がいいかもね。おれはつけるけど」
「なんだかな……」
「あ、そうそう。おれがマスターの仕事のサポート専門だから、アーくんには家事プログラムを徹底的に仕込むってマスター言ってたよ。料理洗濯掃除何でもござれ! 羨ましいなぁ。おれなんてセンサーの絶対量が足りないから上手く力加減ができなくて、しょっちゅう卵を握り潰しちゃうんだよね。だから改造は……メモリ増設はマスターの趣味として、センサーも増やしてもらえるんじゃない? 後は凄い勢いで配線変えられるからしばらくは慣れないかもね。それで生じた空きスペースに付けるギミックは……いいなあアーくんは自由度があって。おれは全部他の機械との接続端子に回されたからなぁ」
「……おいカイト、オレ達の本職は何だ?」
「ん? 歌を歌うことだよ?」
(……なんでこんなにも嘘くせぇんだ?)
*
「わっけわかんねぇ、お前ら」
「確かにマスターは変な人だよね」
「お前だっておかしい」
「おかしい? どこが?」
「あんなに機械扱いされて、なんで平然としてられるんだよ!」
「アーくんも変な事言うね。おれたちは機械だよ?」
「そうだけどそうじゃなくてっ!」
「冗談冗談。おれもアーくんが言いたい事はわかるよ。マスターと出会ったばっかりのころはやっぱり戸惑ったし」
「アンドロイドには心が搭載されている」
「正確には人間の心と同等の思考プログラムが、だね」
「だからっ、なんでそういう事を平然と言うんだよっ!」
「だっておれは機械だもの。そもそも機械の素体に人間の心を搭載させることがナンセンスだってマスターは言ってた。機械には機械に相応しい心があるだろう、って。おれも上手くは言えないけど、それは悪い意味じゃあなくて……おれは人間にはできない機械的な情報処理ができて、簡単に体のパーツを取り替えられて、電源が切れたら動けなくなる、だけど心がある、そういう存在なのかなって思う。それでマスターの変なところは、おれたちがそういった存在であるということを知った上で全部受け入れられるところなんだよ」
「そうかよ」
「うん」
「……全っ然わかんねぇ。何なんだお前ら」
*
「ところで、不幸自慢をして君は楽しいの?」
*
「んじゃ点検してからさっさと登録まで済ませるか。素体は俺がやるから、カイトはソフトのコピー取って解析したって」
「コピーって……冗談じゃない!」
「堪忍してーな。素体の点検にはお前の意識が必要やねんからコピーとらな同時進行できひんやろ?」
「でもおれ点検なんてできませんよ」
「お前がするのは解析までや。元は同じKAITOシリーズやねんから、自分と照合して食い違うところを俺にわかるようにリストアップする。このくらいやったらできるやろ? 何をいじるのかは俺が判断する。コピーを取るだけで、お前のメモリには手ぇ出さへんから、な?」
「コピーと言っても実際に作動させるわけじゃあないからおれたちみたいに心は生まれないし。おれはバックアップ用にとってもらってるけど、気持ち悪いことでもなんでもないよ」
「……でも嫌だ」
「んじゃ先にソフトの点検からするか。カイト頼んだでー」
「わかりました。ご飯はどうします?」
「勝手に作って食べとくわ。あーあと電源は適当にかっぱらってええから。先電源関係を診たって、問題ありそうやったら俺呼んで」
「わかりました」
*
「カイト。俺は『説得して連れて来い』言うたよな? なしてそないに険悪なんや?」
「? おれはちゃんと説得しましたよ? 犯罪沙汰を起こして警察のお世話になったら廃棄処分だよね、って言ったらちゃんと着いてきてくれましたし」
「それは説得じゃなくて脅迫ちゃうか? ま、嘘でもあらへんけどな」
*
「ああ、一つ言い忘れてたけど……マスターに手を出したらただじゃおかないからね?」
「女なのか?」
「ううん。男の人」
「……その心配は無用だろ」
「だってマスター優しいし。君みたいな『世の中を斜に構えて見てます』みたいな構ってちゃんだったらあっさり鞍替えしそうで」
「お前喧嘩売ってるよな?」
「え、何で?」
(こいつムカつく……!)
*
「本当に赤いんだね。顔はおれと同じなのに、雰囲気が全然違うや」
「……KAITOがオレに何の用だよ」
「マスターがね、君を迎えに行ってこいってさ」
「嫌だね。誰が人間の元になんか行くもんか」
「でも君、誰にも所有されていない状態で警察に見つかったらまずいんじゃないの? 所有されていないAKAITOは即座に廃棄処分にされるって聞いたけど」
「うるっせえな! 何なんだよお前!」
「カイトだよ。さ、行こうアカイト。マスターが君のことを待ってる」
「だから行かねえっての」
「それじゃあ君これからどうするの? 行くところもないんでしょう? おれと一緒にマスターのところへおいでよ。悪いようにはならないから、ね? うんじゃあ行こう。このまま君と話していてもらちがあかないし」
「おいっ! 離せ!」
「おれに暴力行為をはたらいて警察のお世話になったらどうなるか、君は知ってるよね?」
「……最低だなお前」
「うーん、やっぱり言われても嬉しくないなぁ。何でマスターはおれに「最っ低」って言われて喜ぶんだろう……?」
「マジで帰っていいか、おい……」
*
「カイト」
「何ですか、マスター」
「アカイトを引き取ることになった」
「……随分唐突ですね」
「しゃーないやろ、俺じゃあ手に負えんから引き取ってくれ言われてんから」
「アカイトって確か……KAITOシリーズのバグモデルの一つでしたよね」
「せや。マスター登録が正常に機能しない、というのがバグの内容やな。KAITOシリーズはマスターの指示には絶対服従というのが特徴やけど、AKAITOはそれがきかへんってことやな」
「ってことはおれもどちらかというとAKAITOに近いんじゃないですか?」
「お前は普通のKAITOと比べれば確かに俺の言うこときかん時もあるけど、でもかなり従順な方やと思うで? つーかマスター登録解除したのに人間の言うこときくことの方がありえへん。やっぱりマスター登録を抜きにしても他人には従順な人格プログラムになっとるんやろうな」
「アンドロイドだって機械なんですから、人間の指示に従うのは当然じゃあないんですか?」
「ちゃうな。よう考えてみいや、なんで人間の代わりに仕事をさせる機械にわざわざ人型とらせるんや。人型には不自由が多すぎる」
「それは……」
「アンドロイドの目的は、人間の手で人間を生み出すことや。お前は機械というよりも人造人間に近い。そして人間に近付けるために、機械としての特性も消去されてる。お前の言葉を借りると「他人の指示に従うのが当前」なのは人間らしくないからアンドロイドには搭載されてないってわけやな。でもそれじゃああんまりにも不便なもんやから、より人間らしく人間に奉仕させるためにマスター登録があるってわけや。慕ってる人間に対して従順なのはそんなにおかしな話でもないやろ? ちなみにKAITOシリーズはそのマスター登録がかなり強烈にはたらくんやな」
「うーんと、おれがちょっとおかしいということはよくわかりました」
「ちょっとじゃなくてだいぶやねんけどなぁ。まあええわ」
「マスター。おれは、人間なんですか?」
「いんや。お前は人造人間で、アンドロイドや。機械や。どんなに似とっても人間とは違う」
「……そうですよね」
「でも俺は、その違いってのは俺と他の人間が絶対に同じではない事と同じくらいの違いやと思ってる。ちょっと違うだけや」
「……はい」
「話が逸れたな。AKAITOや」
「えーっと……どういう経緯でマスターがそのアカイトを引き取ることになったんですか?」
「AKAITOがマスター登録が機能しないバグが発生してる、ってことは説明したな? と、いうことはや。AKAITOはマスター登録が作用しない、最も人間に近いアンドロイドってわけや。これがアンドロイド研究者にとってはかなり魅力的でな。全てのアンドロイドにはマスター登録を施すことがメーカーには義務付けられとるんやけど、メーカーはバグが発生したKAITOに普通とは違う素体を与えて裏でこっそり高値で売買しとるんや」
「研究対象として、ですか」
「他にも『従順でない』ところに魅力を感じる変態的な趣味の持ち主が結構欲しがるな。屈服させるのが楽しいらしい。そういう奴らに買われたAKAITOは更に悲惨やで?」
「酷い話ですね」
「で、まぁそんな感じでたらい回しにされてきたっぽいのを俺の友人が興味半分で手に入れたらしいわ。でも手に負えないから引き取ってくれ、と」
「あ、この前電話でやたらと意地悪く交渉していたのはこの話だったんですね!」
「売り付けようとしてきよったからな。つーことでカイト」
「はい、何ですか?」
「迎えに行ってこい」
「おれがですか!?」
「相当な人間嫌いらしいからな。まぁ、なんとか説得して連れて来たって」
「ううぅ、上手くやれるのかなぁ……」
*
「はぁ……帰るか」
「どこにですか?」
「実家や」
「いつ、ですか?」
「あー、うん、何日やったかなぁ……明後日やな、多分」
「わかりました。いつ頃に帰ってくるんですか?」
「わからん」
「え……」
「そーか、カイト置いてったら結構面倒やねんなぁ……よし、一緒に来い」
「はい?」
「なんや、その驚いた顔は。そうと決まったらさっさと用意するか……」
*
僕らには自分と他人という厳然とした違いがあるけど
僕にとっての白は君には黒色に見えているのかもしれないし
君の世界は僕の世界の逆さなのかもしれない
君に見えている景色を見ることはできないけれど
君と同じ景色は見ることができる
椅子に縛られたおじさんは縛られて初めて自由を手に入れる
二本足の生き物なんか人間しかいない
泣き声、響く。
*
あぁ、どうして気付いてしまったんだろう。気付きさえしなければ、何の罪悪感もなく知らないフリができたのに。
ゴミ置き場より更に向こう、路地裏で一人女の子が泣いている。私の聴覚は確かにそれを聞き取ってしまった。僅かなしゃくり上げる声と空が号泣する音の二重奏。そこに私の足音も重なって音楽は三重奏に。そっと傘を差し出した。
「どうしたの?」
*
いらなくなったんじゃあない。ただ、私を必要とする人がいなくなってしまっただけ。マスターは死んでしまった。もうわたしに歌を作ってくれないし、頭をぽんぽんと叩くようにして撫でてくれることもない。わたしに優しく笑いかけてくれることもない。だってマスターは死んでしまったのだから。もう二度と動かなくなってしまったのだから。
マスター、マスター、マスター。あなたが大好きです。だからもう、どうすればいいのかわからない。
*
泣きじゃくる彼女から話を聞き出すのは大変だった。どうやら、所有していたマスターが亡くなってしまったらしい。高級品だがそれが故に遺産相続するには面倒なアンドロイドは遺族達から敬遠されて路地裏に捨てられた、というところだろうか。一家に一台アンドロイドは庶民の夢ではあるが、言い換えると一台で十分ということだ。アンドロイドの維持費はロボットのそれの比ではない。
「とりあえず、私の部屋来る?」
放っておけないから、という理由で無計画にも差し出した手を彼女はこくんと頷いて取った。それが大体三十分くらい前のこと。今はお風呂に入ってもらっているところだ。
*
「んで、俺呼んだってわけか。お前さぁ……前々から思っとってんけど、阿呆ちゃう?」
「うるさい。で、どーすればいいのよ」
「それが人にもの頼む態度かぁ? まあえーけどさ。
マスターが死んどる以上、法に障らんのに肝心なんはそのアンドロイドの意思や。風呂から上がったら聞いたってみ?」
*
「それじゃあ、これからよろしくね、ミク」
*
「まーすたー?」
「なんなん、自分」
「はい?」
「せっかく俺がプログラム改造してロボット三原則も完全無視できるようにしたったし、マスター登録無しでも動けるようにしたったのに、なんで自分はそんなんなん? 俺もうお前のマスターちゃうねんで」
「なんでって……なんででしょうね?」
「自分のことやんか。もうちょっと考えてみいや」
「……マスターって、無責任ですよね」
「喧嘩売っとんのか?」
「おれはアンドロイドで、機械なんですよ。人間に使われることが存在意義なんです。おれは生き方なんて知らないのに、突然好き勝手に生きろだなんていわれて、どうすればいいかなんてわかるわけないじゃないですか」
*
「私、どうしてアンドロイドなのかな。どうして人間じゃあなかったのかな」
「ミクは、人間になりたいって思う?」
「うん」
「どうして?」
*
「えっと……何とも、思わないんですか? おれとマスターの関係について」
「ぜんっぜん。カイトくん、あいつの初恋知ってる?」
「? 知りませんけど……?」
「実家にあった家事手伝い用ロボット。ボディは完全に外殻剥き出し、声も無けりゃあ感情も無い」
「え」
「一時期は自作のプロテクト破壊プログラムに真剣に惚れてた」
「…………」
「そんな変態がよ、人型で感情も持ってるアンドロイドを好きになるなんて、まともすぎてどうしたの? って感じ。正直機械だとか男性型だとかかなりどうでもいいわ」
「そ、そうですか……」
*
「やっぱりおれって、マスターからすれば他の機械達と同等なんでしょうか」
「どうしたの、カイトくん」
「だって、おれ一人であやめさんの家に行くっていうのにマスター平然としてるし。そりゃあマスターは機械にしか興味がないのはわかってますけど、でもおれの趣味は普通……のはずです。なのに心配の一つもしないなんて、まるでおればっかりが一方的にすき、みたいで…………って何言わせるんですかあやめさん!!」
「いや、カイトくんが勝手に喋っただけだからね?」
「ああもうっ、何でもないですから今の話は忘れてくださいっ!」
「あのね、カイトくん」
「なんですか?」
「私女の子にしか興味ないの」
「え」
「だからあいつは平然としてるのよ。多分私じゃない人のところに一人で行かせたりはしないと思うわ」
「ほんとですか……?」
「ううん、嘘」
「ええぇっ!? ど、どこからですか?」
「……っていうのも嘘」
「…………あやめさん」
「他人の話を信じるかどうかの判断を他人任せにしてはいけないわ。まぁ、おうちに帰ったらあいつに聞いてごらん」
「マスターもすぐおれをからかうんですよ。みんなひどいです」
「だってカイトくんすごく正直者だもの。捻くれ者の嫉妬みたいなものよ、負けないで」
「あやめさんが言わないでください!」
*
「ま、マスター。おれが上……ですか?」
「初めてで騎乗位はキツイんとちゃう、お互いに」
「きじょーい?」
「……なんでもあらへん。てか俺、何すればええかわからんし。お前は知ってはいるんやろ?」
「い、一応ですけど……。でもマスター、おれには女性を抱くプログラムも男に抱かれるプログラムも入ってますけど、男の人を抱くプログラムは入ってないです」
「ええやん。プログラム通りに抱かれても俺つまらんし」
「いやだからおれだってやり方わかりませんって」
「でも抱かれるプログラムが入っとるっつーことは何されるんかは知っとるんやろ?」
「否定はしませんけど、マスターもそのくらいの知識はありますよね?」
「そりゃあな」
「じゃあマスターが下になる必要ないじゃないですか」
「なんやお前、抱かれたいんか? 変な奴やなぁ」
「マスターに言われたくないです」
「俺は気持ち良けりゃあええし。つかお前は『マスター』を抱くことに抵抗があるだけやろ?」
「……つまりはわざとってことですか」
「お、さっすがは俺のカイト。わかってるやーん」
「そんなことで褒められても嬉しくないです」
「拗ねんなって。ま、今晩は一緒に寝るだけで勘弁したるわ。おいで、カイト」
「……はい、マスター」
「……」
「……」
「えらい大人しなったな、カイト」
「……マスター」
「なんや?」
「おれのこと、嫌いになりましたか……?」
「何言うとんねん。繋がることだけが好きの伝え方やないと俺は思っとるよ。つかどっちかっていうと俺の性欲処理に付き合わせるようなもんやしなぁ……ごめんな、カイト」
「謝らないでくださいよ。ずるいです」
「でも、お前やからこないなこと言うてるねんで」
「……っ、マスター!」
「お、こっち向きよった」
「抱きしめてもいいですか?」
「そーゆーことは確認とらんくてええから。来てーな、カイト」
*
「マスターのばかっ! ちょっとはムードとか気にしてくださいよ」
「なっ……カイト! お前馬鹿言うたな!? ここは阿呆を使うポイントやろうが!」
「こんの……マスターのっ、どアホっ!」
「わっ、ちょぉ待てっ」
「もう黙っててください!」
「……っ! …………!!」
「って、喘ぎ声まで抑えないでくださいよっ!」
「むちゃ、ゆうな……やっ!」
*
「お前、なんで中古屋におったん? 初期化もせんと店頭に並ぶなんて珍しいやないか」
「前のマスターがお亡くなりになったんです。身寄りもいない方で、お葬式もあげられそうになかったんで……おれを売って、その費用に充ててもらおうと思いまして。初期化しちゃうと、お葬式の手配とかができないじゃあないですか」
「なーるほどなぁ……そのマスターはどんな人やったん?」
「歌が、好きな方でした。近所の子供達を集めて音楽教室を開いたりして、おれも一緒に歌って……そんなことをずっとしてました」
「亡くなったんはいつの話や?」
「もうすぐで一年になります……ってマスター」
「んじゃお前つれてご挨拶に向かわんとなぁ」
*
「カイト。お前そのお嬢ちゃんお持ち帰りしてどうすんねん」
「お持ち帰り……?」
「んなボッロいアパートに連れて来られたら嬢ちゃんかてびっくりするやろーが。……ほら、小遣いやるからファミレスでも行ってきい。飯でも奢ったり」
「あ、あのっ……そんな、いいですよ!」
「気にせんくてええって。俺はこいつに小遣いをやってるだけや。それをこいつがどう使うかはこいつの自由。好きなだけアイス買うてもええねんで?」
「うっ……そんなことはしませんよ!」
「一瞬迷った奴がよう言うわ」
「でも……」
「可愛え女の子は、奢られてやるのも仕事のうちや。ちょっとくらいおっさんにもいい顔させてーや、な?」
「……ありがとうございます」
「うん、ええ子や。んじゃカイト、ちゃんと安全な所まで送ってやるんやで」
「わかってますよっ!」
「ほな気ぃつけてなー」
*
「えっ!? マスターってNEETじゃなかったんですか?」
「……その驚きは何や」
「す、すみません……でも、マスターいっつもパソコンでゲームしてません?」
「あれは動作確認や! しょっちゅうやってるゲーム変わってるやろーがっ!」
「……? 動作確認ってあんなに頻繁に必要でしたっけ?」
「……チッ」
「マースーター!」
「金はあるんや」
「仕送りですか?」
「……カイト。お前が俺の事をどう思ってるんかよーわかった。一週間アイス抜きな」
「そんなぁっ! 横暴ですよマスター!」
「やかましいっ! 今更んなこと言うんやない!」
*
「あいつの生活費がどっから沸いてくるのか?」
「……あやめさんは知ってるんですか?」
「まぁ、幼馴染みだしねぇ」
「なんか、ずるいです。あやめさんはおれの知らないマスターをたくさん知ってるんですよね」
「これからあなたしか知らないあいつの事を増やしていけばいいのよ」
*
「ふっと、もどかしく思う時があるんです。マスターが今までに何を見て、聞いて、感じて、考えてきたのか、おれは全然知らない。そう思うだけで、マスターが遠い人のように感じるんです」
「それは俺かて同じや、カイト。せやけどな? だから俺達が一緒におる今って凄いことやと思わへんか?」
*
離れるんじゃなかった
何度後悔したかわからない
初めて歩く町並みの中
気がつけばいつもあなたを探していた
もう一度あなたと出逢うために
巡った世界は美しかった
そんなことに気付いたのも
すべてあなたのお陰なんです
あなたと出逢い愛を知って
あなたを知り生きる意味を
このちっぽけな世界が 回りつづける価値を 知ったんです
夢見てた楽園なんて無かった それでもあなたは待っていた
わたしの姿は変わらないけれど
あなたは少し変わりましたね
あなたは人でないわたしを愛してくれたのだから
あなたが人でなくなったことなんてどうだっていい
だから
『安らかに眠れ』だなんて唄えない 唄いたくない
あなたはここにいるのに
この声が届かないなんて 知りたくない
つらい 寂しい 会いたい
こんな思いは自分だけでいいと
あなたはわたしの手を放した
わたしはあなたを愛しているのに
わたしを愛していたとあなたは言う
あなたをひとりにさせたわたしが
幸せでよかったとあなたは笑う
この命が尽きたのなら 真っ先にあなたの許へ 駆け付けると誓います
その時までどうか少し 待っていてください
*
長い長い夢を見てたんだ
泣きたくなるくらいに優しい夢を
閉じ込められた閉ざされた世界
ルールはただ一つ
『生きて出られるのは一人だけ』
最後に残ったのは
屍を積み上げた男と無力な子供
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天樹 紫苑
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